宿野庄(読み)しゆくののしよう

日本歴史地名大系 「宿野庄」の解説

宿野庄
しゆくののしよう

宿野付近にあったとみられる庄園。「御料地史稿」などは当庄を旧島下しましも宿久庄しゆくのしよう(現茨木市)に比定している。しかし勝尾寺文書には、中世の島下郡に宿久すく庄・宿久村が存在したことを示す史料が多く存在し、宿野と宿久を混同したものとみて比定するには無理があり、当地すなわち能勢郡宿野の地とするのが妥当と考えられる。鳥羽上皇の皇后美福門院藤原得子は、永治元年(一一四一)京都白河に歓喜光かんきこう院を建立したが、当庄はいつの頃からかこの歓喜光院領となり、鎌倉時代には大覚寺統に伝領された。嘉元三年(一三〇五)七月二六日付の亀山院処分状(亀山院御凶事記)によると、このとき亀山院は、大膳大夫藤原景房の女二品藤原寿子に宿野庄を譲与し、「これは心にまかせて、仏事のあしにもせられ候へ、本家ははなれ候まし」と記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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