日本歴史地名大系 「富任村」の解説 富任村とみとうむら 山口県:下関市富任村[現在地名]下関市大字富任・梶栗松風(かじくりまつかぜ)町現下関市の西部にあたり、北は安岡(やすおか)、東は蒲生野(かもうの)、南は綾羅木(あやらぎ)の各村と接し、西は響(ひびき)灘に面する。村の南部を梶栗川が西流する。長府藩領で西豊浦郡前支配に属する小村。永正七年(一五一〇)三月吉日付三井善兵衛家文書(「閥閲録」所収)に「長州豊西郡富任別府」とみえる。慶長一五年(一六一〇)の検地帳には「富任村」とあり、総石高二四〇石余、うち田一三町余で一八八石余、畠一三町余で四一石余、百姓屋敷三八。「地下上申」によれば、総石高六一六石余、うち田方四七一石余、畠方一四四石余で、慶長の検地帳石高に比して約二・五倍となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by