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蒲生野 こもうの

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

蒲生野
こもうの

京都府中部,京丹波町南部の須知の北方に広がる洪積層の台地。面積約 60km2。長らく原野として放置されていたが,明治初期,京都府がアメリカ人ジェームズ・オースティン・ウィードを招聘して 1876年農牧学校を建設。 1902年農事試験場,1903年種畜場などを設置して農業開発を試みた。その後有畜農業が営まれ,1970年には原野の一角に京都府立丹波自然運動公園が開園した。

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百科事典マイペディアの解説

蒲生野【がもうの】

琵琶湖の東岸近江国蒲生郡に広がっていた野。668年天智天皇は蒲生野で薬猟を行っており(《日本書紀》),男は薬用の動物を狩猟し,女は薬草を摘むという古代中国の風習に倣うものであった。

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世界大百科事典 第2版の解説

がもうの【蒲生野】

古代近江の歴史地名。滋賀県八日市市を中心とする条里制地割遺構の空白地帯がこれにあたるか。火傷に効くガマ(蒲)が自生していたことから出た地名で,のち紫草を栽培する薬園が置かれた。《延喜式》では近江国は全国最多種の薬石を上納する規定だが,そのうちには蒲生野で栽培採取されたものが多かったであろう。668年天智天皇はこの地で5月5日の薬猟(くすりがり)を行っている。《万葉集》の大海人皇子額田王の著名な贈答歌はこの時のことという。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蒲生野
がもうの

滋賀県中南部の愛知(えち)川中流左岸の台地。東近江(おうみ)市西部、近江八幡(おうみはちまん)市東部などの範囲をいう。古代には狩猟の場で、額田王(ぬかたのおおきみ)と大海人皇子(おおあまのおうじ)の相聞(そうもん)歌「あかねさす紫野行き……」(『万葉集』巻1)で知られる。歌碑が舟岡山にある。中世以降、その開発が進み、現在では農業用地が広がる。[高橋誠一]

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