日本歴史地名大系 「富光名」の解説 富光名とみみつみよう 鹿児島県:薩摩郡宮之城町湯田村富光名現湯田(ゆだ)付近を中心とする地域に比定され、「紫尾ヨリ上柏原ヲ過テ湯田迄ニカケタル地ナルベシ」と川内(せんだい)川右岸奥まで拡大する説もある(「答院記」著者中村直毘古覚書)。薩摩国建久図田帳に島津庄寄郡答(けどう)院一一二町のうちに「富光五十四町 本郡司熊同丸」とみえる。熊同丸は薩摩在国司大前氏の一支流(熊同丸系)で、答院郡司を勤め、子孫は富光氏を称した。建保四年(一二一六)六月二八日の答院郡司大前道秀寄進状案(答院記)にみえる道秀、元応二年(一三二〇)五月日の薩摩八幡新田宮雑掌重訴状案(同書)にみえる「荅院内時吉孫太郎入道」は熊同丸系の大前氏(富光氏)と考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by