日本歴史地名大系 「湯田村」の解説
湯田村
ゆだむら
現湯田町域が村域である。文和二年(一三五三)一一月三日の吉良貞家宛行状(鬼柳文書)によれば「陸奥国和賀郡和賀越前権守行義跡伍分四内、(中略)小国村内中村田在家半分」とみえ、勲功の賞として和賀義光に宛行われている。また同年月日の和賀基義遵行状(同文書)によれば、同じ和賀行義跡であった和賀郡内「湯川尻田在家」を和賀義綱に宛行っている。
湯田村
ゆだむら
宮之城郷
応永一〇年(一四〇三)一二月一三日、島津元久は入来院重頼と一味同心の盟約を結んだ。
湯田村
ゆだむら
- 鹿児島県:川内市
- 湯田村
湯田村
ゆだむら
江戸時代は市来郷に属した。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳に村名がみえ、高一千二六一石余。「三州御治世要覧」によると延享(一七四四―四八)頃の高一千三一三石余。
湯田村
ゆだむら
湯田村
ゆだむら
湯田村
ゆたむら
小俣村の西、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報