宮之城町(読み)みやのじようちよう

日本歴史地名大系 「宮之城町」の解説

宮之城町
みやのじようちよう

面積:一四五・九五平方キロ

薩摩郡のほぼ中央部にあり、東は薩摩町・答院けどういん町、南は入来いりき町・樋脇ひわき町、西は東郷とうごう町、北は出水いずみ高尾野たかおの町・出水市、北東は鶴田つるだ町に接する。北部の飛地の柊野くきの石堂いしどう山南麓にあって、東・西・南を鶴田町、北は出水市に囲まれている。出水市との境の出水山地には紫尾しび(一〇六六・八メートル)偉容を誇っている。川内せんだい川が北東から南西に流れ、東からあな川・久富木くぶき川、西から泊野とまりの川・海老えのか川・大薄おおすき川・夜星やせい川などの支流川内川に注いで宮之城盆地をつくっている。同川を挟んで形成された屋地やち虎居とらいの市街地は鹿児島・川内・出水・大口の各方面とを結ぶ交通の要地となっている。南西から北東へと縦断する国道二六七号はこの市街地でほぼ東西に横切る国道五〇四号と交差し、また北西へ国道三二八号が分岐している。

町内の遺跡は従来八一ヵ所が知られていたが、平成五年(一九九三)の分布調査で新たに八一ヵ所が追加され、計一六二ヵ所を数える。旧石器時代の遺跡はこれまで山崎やまさき船木ふなきにまたがるこめやま遺跡で細石器片が採集されているのみである。縄文時代は五六遺跡が知られ、早期の押型文土器が出土した虎居の甫立原ほだてばる遺跡や前期の轟式土器が出土した久富木の大畝町園田おおぜまちそのだ遺跡などは著名である。弥生時代の遺跡は屋地の諏訪原すわばる遺跡等の数ヵ所の出土が知られているが希薄な地域である。古墳時代の遺跡六四は最多数であるが、いずれも在地の成川式土器などの散布地であり、発掘調査等で遺跡の実態のわかった遺跡はない。なお町内では今のところ地下式板石積石室墓などの古墳は発見されていない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報