富士見町二丁目(読み)ふじみちようにちようめ

日本歴史地名大系 「富士見町二丁目」の解説

富士見町二丁目
ふじみちようにちようめ

[現在地名]千代田区九段北くだんきた一―三丁目

明治五年(一八七二)に南は三番町さんばんちよう通、北は裏四番町うらよばんちよう通を画して成立。中央を表四番町おもてよばんちよう通が東西に走る。東は飯田いいだ町二丁目、西は富士見町三丁目、南は同一丁目、北は同五―六丁目。江戸時代には田安たやす御門を出てすぐ左手、番町の一画。正保期(一六四四―四八)には一面武家屋敷(正保江戸絵図)。しかし元禄一〇年(一六九七)一〇月の大塚おおつか(現文京区)から芝・麻布に及んだ大火で東部分が類焼し、その跡は広場(幕府用地)となった。翌年ここに馬場が設けられ、新道も造られて一部は再び上野七日市藩前田家などの屋敷地となった。馬場も宝永七年(一七一〇)に廃されて屋敷地となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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