東京都千代田区にある神社。戊辰戦争で亡くなった官軍兵士を慰霊するためにつくられた「招魂社」が前身。日清・日露戦争や太平洋戦争などの戦死者約250万人が祭神となっている。東条英機元首相らA級戦犯も
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東京都千代田区九段坂上に鎮座。1879年6月4日に東京招魂社を抜本的に改革,靖国神社と改称,別格官幣社に列せられた。嘉永癸丑(1853)以来の国事殉難者,戊辰戦争の戦没者に加え,西南戦争の戦死者をはじめ,以後日本の対外戦争における戦死者を〈靖国の神〉となして国家がまつったもの。祭日は,1869年に東京招魂社が,正月3日(鳥羽・伏見の戦の日),5月15日(上野彰義隊の戦の日),5月18日(函館五稜郭降伏の日),9月22日(会津降伏の日)と戊辰内乱の折り目に設定したのをふまえ,靖国神社となったさいに会津降伏の11月6日(陰暦9月22日)を正祭となし勅使が派遣され,春の大祭を5月6日として春秋に整理された(現在の例祭は4月22日,10月18日)。一般神社が内務省管轄下であるのに対し,靖国神社は陸・海軍省と内務省の3省で管理運営された特別の神社であった。運営の主導権は財政をになった陸軍省がもち,内務省は神官の人事に関する権限しかもたなかった。祭主には祭典の主催に応じて陸・海軍武官が任命された。天皇の弔祭をうけ,70余におよぶ行啓幸がなされた。境内には遊就館が設置され,まつられている死者の生前をしのぶ遺品を展示し,近代日本の戦争記念館のおもむきをもつ。遺家族は,合祀の祭典等のさいに招待され,昇殿参拝をした。そのため,靖国神社は日清・日露戦争を経て戦死者が増大するにつれ,広く一般に浸透した。氏子をもたない靖国神社は,国家が戦争による死を〈国家隆昌〉をになったものとして意義づけて〈靖国の神〉となし,死者によせる遺族の心情を国家に収斂(しゆうれん)する場であったともいえよう。その意味では,日本の軍国主義と密接な関係をもった神社とみることができる。一方戦死者の遺家族には,肉親が〈靖国の神〉となることによって〈靖国の家〉という優越感を抱き,誇りとするむきもあった。第2次世界大戦敗戦後は神社本庁下の一宗教法人として存続。しかし日本遺族会(〈遺族会〉の項参照)や郷友連盟などは,講和後の1955年より,靖国神社国家護持運動を積極的に推進,〈靖国神社法案〉の成立をめざしている。この問題は,戦没者への国民感情のありかたにもかかわるが,信教の自由に対する認識にかかわるものでもある。
→国家神道
執筆者:大濱 徹也 一方,この神社は招魂社の名で東京市民に親しまれ,例大祭には多くの人出があった。かつて競馬場のあった境内の東側あたりには見世物や屋台が出て,明治・大正・昭和前期の東京風物詩となった。また1887年に建てられた青銅の大鳥居,88年建立の大村益次郎の銅像,1871年に開館し,武具や戦利品を陳列した遊就館,常夜灯などは,当時の東京新名所靖国神社に欠かせないものでもあった。
→招魂社 →護国神社
執筆者:小木 新造
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東京都千代田区九段北に鎮座。1869年(明治2)戊辰(ぼしん)戦争の戦没者を招魂鎮斎するために、明治新政府により創祀(そうし)された「東京招魂社」がおこり。のち各府藩県で設けられていた地方の招魂社が廃藩置県以後、国家的な統制を受けるに伴い、中央の招魂社としての東京招魂社も正式な神社として整備が進められ、79年には靖国神社と改称、別格官幣社に列格した。陸・海軍両者の所管になるが、その管理は創建の由来からおもに陸軍省があたった。別格官幣社の制は72年に始まるが、国家的な功績のあった人を祭神とすることを特色とした。当社の祭神はその後、53年(嘉永6)以降の国内の戦乱、また対外戦争である日清(にっしん)戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、太平洋戦争などの戦没者(軍人、民間人ほか)を合祀し、現在約246万人(女性祭神約6万人)。例大祭(4月22日、10月18日)には天皇からの勅使が遣わされ、またその前夜には祭神としての合祀祭が行われる慣例である。国家との関係は、戦後は全面的に断たれたが、「靖国神社問題」として国家護持、首相の公式参拝、A級戦犯合祀問題など、神社の歴史的性格と国家、政府との関係をどう扱うか、未解決のままである。
[牟禮 仁]
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(岩井克己 朝日新聞記者 / 2008年)
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東京都千代田区九段北に鎮座。旧別格官幣社。祭神は明治維新前後の殉難者や戦役・事変などの国事殉難者240万柱。1869年(明治2)明治天皇の発議により招魂社が創建され,79年現社名に改称。国家神道の時期には陸海軍所管の特殊な神社として位置づけられ,祭神の遺族が昇段参拝した。第2次大戦後,国家の管理を離れ単立の宗教法人となる。しかしその後も遺族会などから当社を国営化しようとする運動がおき,また近年は閣僚の公式参拝が問題となっている。例祭は4月21~23日と10月17~19日の春秋2季。
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…69年には宣教使がおかれ,翌年には大教宣布の詔が下されて,祭政一致のイデオロギーによる国民教化の方針がいっそう明確にされた。また,東京招魂社(のちの靖国神社),楠社(のちの湊川神社)など新しい神社がつくられ,天長節,神武天皇祭などの祝祭日を定めて,全国的に遥拝式が行われたりした。 神祇官を中心とするこうした諸政策は,神道国教化政策と呼ばれている。…
…靖国神社および護国神社の旧称。1862年(文久2)福羽美静(ふくばびせい)(1831‐1907)らが討幕運動で非命の最期をとげた尊皇の志士を京都東山の霊山(りようぜん)にまつり,63年八坂神社境内に小祠を建立したのが最初である。…
…それだけでなく,日本は植民地に神社を建て参拝を強制し,朝鮮では実際,参拝拒否のために2000人のキリスト者が投獄され,牧師・長老など教会指導者50人が獄死し,200の教会が閉鎖されたという(沢正彦《南北朝鮮キリスト教史論》)。第2は靖国神社による軍国主義の鼓舞である。同神社は幕末戦死した官軍兵士らを京都で合祀したことに始まる。…
※「靖国神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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