朝日日本歴史人物事典 「富田才治」の解説
富田才治
生年:享保9(1724)
肥前唐津藩(佐賀県)平原組の大庄屋で,明和8(1771)年の虹の松原一揆の指導者。宝暦12(1762)年に入封した藩主水野氏は次々と年貢増徴策を実施し,これに反対する領民(1万~2万3000人)が明和8年7月20日に藩境の虹の松原へ結集する。庄屋が藩側と交渉する旨約束して屯集勢を帰村させ,8月9日に要求のほとんどを藩側に認めさせた。後日富田才治は半田村名頭麻生又兵衛らと共に自首し,西の浜の刑場で斬首されたと伝えられる。明治33(1900)年平原村中川谷の富田家旧屋敷地近くに顕彰碑が建てられる。<参考文献>『虹浜騒秘録』(『松浦叢書』2巻),『虹浜〓臭秘録』(『日本庶民生活史料集成』6巻),『唐津市史』,『相知町史』上,宮崎克則「明和8年の『虹の松原』一揆」(丸山雍成編『幕藩体制の新研究』)
(宮崎克則)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報