富貴庄(読み)ふきのしよう

日本歴史地名大系 「富貴庄」の解説

富貴庄
ふきのしよう

現篠山市内にあった古代成立の皇室領庄園。篠山盆地西部の東吹ひがしぶき・西吹・吹新ふきしん周辺に比定される。平安末頃に作成されたと推定される成勝寺年中相折帳(宮内庁書陵部蔵祈雨法御書裏文書)に「福貴御園 民部卿入道家 寄進天養二年二月十八日 年貢 香」とある。成勝じようしよう(現京都市左京区)は六勝寺の一つで、崇徳天皇御願により保延五年(一一三九)に創建されたが、福貴御園は天養二年(一一四五)八月一八日に藤原顕頼によって寄進されたことがわかる。観応元年(一三五〇)一二月一四日に多紀たき波賀野はがのに挙兵した南朝方と、丹波守護代久下弾正頼直との戦闘は「不木合戦」とよばれている(「祇園執行日記」同一七日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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