日本歴史地名大系 「小一条院跡」の解説 小一条院跡こいちじよういんあと 京都市:上京区京都御苑小一条院跡[現在地名]上京区京都御苑平安初期の公卿で藤原氏隆盛の基礎を築いた左大臣藤原冬嗣邸。冬嗣の二男で人臣初の摂政となった藤原良房が伝領し、「東京一条第」「東京第」(三代実録)と称されていた。「近衛南東洞院西」(拾芥抄)とあり、現京都御苑内の下立売御門の東北にあたる。清和天皇の誕生の地で(「三代実録」貞観六年二月二五日条)、またその邸内の「坤角」(拾芥抄)に祀られていた隅神の田心姫神・瑞波姫神・市杵島姫神は筑前宗像(むなかた)社(現福岡県宗像郡)の神を勧請したもので、「居雖異、実是同神也」(「三代実録」貞観元年二月三〇日条)といわれていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報