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清和天皇 せいわてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

清和天皇
せいわてんのう

[生]嘉祥3(850).3.25. 京都
[没]元慶4(880).12.4. 京都
第 56代の天皇 (在位 858~876) 。名は惟仁 (これひと) ,水尾天皇ともいう。文徳天皇の第4皇子,母は太政大臣藤原良房の娘明子。天安2 (858) 年8月践祚したが,幼少のため外祖父良房が政を摂行し,貞観8 (866) 年8月正式に摂政となり,人臣摂政の例を開いた。

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デジタル大辞泉の解説

せいわ‐てんのう〔‐テンワウ〕【清和天皇】

[850~880]第56代天皇。在位858~876。文徳天皇の第4皇子。名は惟仁(これひと)。外祖父藤原良房が実質的な摂政となり、実権はほとんどなかった。水尾(みずのお)帝。

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百科事典マイペディアの解説

清和天皇【せいわてんのう】

平安初期の天皇。文徳(もんとく)天皇の皇子で,母は藤原良房の女明子(めいし)。858年9歳で即位し,876年まで在位。その間,外祖父良房が摂政となり人臣摂政の例を開いて藤原氏の全盛期が始まった。
→関連項目弘仁・貞観時代源経基文徳天皇陽成天皇

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

清和天皇 せいわてんのう

850-881* 平安時代前期,第56代天皇。在位858-876。
嘉祥(かしょう)3年3月25日生まれ。文徳天皇の第4皇子。母は藤原明子。父の死で,天安2年9歳で即位(最初の幼帝)。母が補佐したが,実権は外祖父の藤原良房(よしふさ)ににぎられ,応天門の変(866)後,良房を摂政とする。貞観(じょうがん)18年27歳で譲位。元慶(がんぎょう)3年出家。元慶4年12月4日死去。31歳。墓所は水尾山陵(みずのおやまのみささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は惟仁(これひと)。別名に水尾帝。法名は素真。

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朝日日本歴史人物事典の解説

清和天皇

没年:元慶4.12.4(881.1.7)
生年:嘉祥3(850)
平安前期の天皇。文徳天皇と藤原良房の娘明子の子。名は惟仁。水尾帝とも。嘉祥3(850)年11月,兄の3親王(惟喬,惟条,惟彦)を超え,生後8カ月で皇太子に立てられるが,紀名虎の娘静子の生んだ惟喬親王については,その悲運がさまざまな伝承を生み,良房と名虎が相撲で勝負を決めた(『平家物語』)とか,それぞれ真言僧の真雅と真済に加持祈祷させた(『大鏡』『江談抄』)といった話が伝えられる。天安2(858)年8月,9歳というそれまでの天皇としては最年少で即位,これを後見した良房が事実上の摂政となった。しかし『貞観格式』の編纂など制度の整備や学問の振興には積極的にかかわっており,その治世が評価されている。貞観18(876)年11月,27歳で譲位,清和院(平安左京北辺四坊)に移ったが元慶3(879)年5月に出家(法諱は素真)してからは近畿の諸寺を巡礼し,酒や酢を断って精進生活を送った。藤原基経の粟田山荘(のち円覚寺に改む)で没。臨終の際,西方に向かって結跏趺坐し,定印を結んだまま往生したが,なお生きているようであったという。遺詔により山陵は作らず,火葬したが(左京区黒谷の金戒光明寺裏山に火葬塚があり,経塚と称される),生前自ら終焉の地と定めた嵯峨水尾山に葬られた。ちなみに『続拾遺往生伝』には,清和の前世が僧侶であったという話を収める。なお賜姓源氏のうち武士化した者は清和天皇の子孫に多い。

(瀧浪貞子)

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世界大百科事典 第2版の解説

せいわてんのう【清和天皇】

850‐880(嘉祥3‐元慶4)
第56代に数えられる天皇。在位858‐876年。文徳天皇と藤原良房女の女御明子との間に生まれ,名を惟仁(これひと)という。祖父仁明天皇と曾祖母の太皇太后橘嘉智子の相つぐ死によって,生後わずか9ヵ月で父文徳天皇の皇太子となり,さらに文徳天皇の急死によって,未成年の9歳で即位する異例を開いた。この異例の背後には外祖父良房の巨大な存在があり,良房は太政大臣として幼帝の大政を摂行した。いわゆる人臣摂政のはじめである。

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大辞林 第三版の解説

せいわてんのう【清和天皇】

850~880) 第五六代天皇(在位858~876)。名は惟仁これひと。文徳天皇第四皇子。八歳で即位。外祖父藤原良房が初めて人臣摂政となった。水尾帝みずのおてい

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

清和天皇
せいわてんのう
(850―880)

第56代天皇(在位858~876)。文徳(もんとく)天皇第四皇子。母は藤原良房(よしふさ)の女明子(むすめあきらけいこ)。諱(いみな)は惟仁(これひと)。水尾(みずのお)帝ともいう。文徳天皇は紀名虎(きのなとら)の女静子の生んだ惟喬(これたか)親王を皇太子とすることを願っていたが、藤原氏の威勢を背景に惟仁親王が850年(嘉祥3)に立太子し、858年(天安2)9歳で即位した。幼齢であったので、外祖父良房が太政(だいじょう)大臣として大権を行使し、元服を終えた866年(貞観8)には良房に対し天下の政を摂行せよとの勅を下し、天皇成人後も良房が大権を行使するというあり方の確認を行っている。職名としての摂政(せっしょう)・関白は使われていないが、良房は摂政・関白の実を行ったと考えられる。在世中応天門が焼け落ちるという事件(866)が起こったが、律令(りつりょう)支配の困難さは深刻化していたとはいえ、概して静謐(せいひつ)のまま終わったようである。18年の在位後876年陽成(ようぜい)天皇に譲位。879年(元慶3)5月落飾(らくしょく)入道し、11月粟田山(あわたやま)荘円覚寺に遷幸し、12月4日崩御。嵯峨(さが)の水尾(みずお)陵に葬る。[森田 悌]

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世界大百科事典内の清和天皇の言及

【源氏】より

…10世紀の中ごろに起きた平将門の乱で大きな役割を果たした源護(まもる)の一門は,必ずしもその系譜を明らかにしないが,源姓で一字名であることから推察すると,嵯峨か仁明の流れである。つぎに清和天皇のときには,まず4人の皇子長猷,長淵,長鑒,長頼らに源の賜姓があり,ついで貞固,貞元,貞保,貞純,貞数,貞真ら諸親王の皇子,すなわち天皇の皇孫の多くが源氏となった。その時点での清和源氏だけでも約15流ほどが認められる。…

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