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冷泉天皇 れいぜいてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

冷泉天皇
れいぜいてんのう

[生]天暦4(950).5.24. 京都
[没]寛弘8(1011).10.24. 京都
第 63代の天皇 (在位 967~969) 。村上天皇の皇子。母は皇后藤原安子。名,憲平 (のりひら) 。康保4 (967) 年5月父天皇の死没とともに践祚,次いで即位。皇后は昌子内親王。病弱であったため,久しく絶えていた関白がおかれ,藤原実頼がこれに任じた。

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デジタル大辞泉の解説

れいぜい‐てんのう〔‐テンワウ〕【冷泉天皇】

[950~1011]第63代天皇。在位967~969。村上天皇の第2皇子。名は憲平(のりひら)。病弱のため藤原実頼を関白に任じ、藤原氏の政権独占の時代となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

冷泉天皇 れいぜいてんのう

950-1011 平安時代中期,第63代天皇。在位967-969。
天暦(てんりゃく)4年5月24日生まれ。村上天皇の第2皇子。母は藤原安子(あんし)。父の死により18歳で即位。藤原実頼(さねより)が関白として後見し,左大臣源高明の左遷(安和(あんな)の変)後は,藤原氏の権力がさらにつよまった。在位2年余で譲位し,太上(だいじょう)天皇の尊号をおくられる。病弱で異常な振る舞いがおおかった。寛弘(かんこう)8年10月24日死去。62歳。墓所は桜本陵(さくらもとのみささぎ)(京都市左京区)。諱(いみな)は憲平(のりひら)。
【格言など】年へぬる竹の齢(よはひ)をかへしてもこのよを長くなさむとぞ思ふ(「詞花和歌集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

冷泉天皇

没年:寛弘8.10.24(1011.11.21)
生年:天暦4(950)
平安中期の天皇。村上天皇と皇后藤原安子(右大臣師輔の娘)の子。名は憲平。生まれて2カ月後に外祖父師輔宅で立太子。父村上天皇の死により18歳で即位するが,叔父実頼(師輔は没)が関白に就任して後見補佐した。これは皇太子時代からの病状に配慮したという事情もあったが,以後摂政,関白が常置となり平安貴族政治上画期となった。病状とは,足の傷もかえりみず終日蹴まりを蹴り上げるなどの異常な振る舞いが多かったことだが,ふだんは気づかれることはなく,美麗の人であったともいわれている。しかしそうしたこともすべて外戚の地位を奪われた藤原元方の祟りによるとする『大鏡』の話は有名。在位2年で譲位し,その後42年という長い上皇生活を東三条南院で終えている。諡は譲位後11年間住んだ冷泉院にちなむ。桜本陵と呼ばれる墓は左京区鹿ケ谷にある。

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

れいぜいてんのう【冷泉天皇】

950~1011) 第六三代天皇(在位967~969)。名は憲平のりひら。村上天皇第二皇子。在位中に安和あんなの変が起きた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

冷泉天皇
れいぜいてんのう
(950―1011)

第63代天皇(在位967~969)。村上(むらかみ)天皇第二皇子。母は藤原師輔(もろすけ)の娘安子。諱(いみな)は憲平(のりひら)。藤原元方(もとかた)の娘元子の生んだ広平親王を越えて皇太子となったので、元方は落胆のあまり病死し、天皇が物の怪(け)に悩み病気がちであったのは元方の怨霊(おんりょう)によるものとされた。こうしたことが原因で摂関が常置されるようになり、また安和(あんな)の変(969)も起き、天皇の第一皇子師貞(もろさだ)親王の立太子を急ぐ藤原伊尹(これただ)の策略により在位2年で皇太弟守平(もりひら)親王(円融天皇)に譲位した。陵墓は京都市左京区鹿(しし)ヶ谷(たに)の桜本陵。[福井俊彦]
『藤木邦彦著『日本全史3 古代』(1959・東京大学出版会)』

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