小俣庄
おまたのしよう
台道の小俣付近を領域とした玉祖神社領の荘園。
保延三年(一一三七)九月日の待賢門院庁下文案(東大寺図書館所蔵文書)によれば、安芸権介藤原実明が「去天治二年五月之比」玉祖社とその社領三ヵ荘を法金剛院(現京都市右京区)に寄進している。そのうちの一ヵ荘に、
<資料は省略されています>
とある。鎌倉期に入っても小俣庄が法金剛院領であったことは「玉葉」の建久二年(一一九一)七月一五日条に「法金剛院領周防多島・小俣庄等也云々」とみえることで知られる。建武二年(一三三五)九月日の玉祖社神事神領注文(玉祖神社文書)には、玉祖社領として「一所小俣庄


」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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