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荘園を統括管理する職掌。鎌倉末期の法書《沙汰未練書》には〈預所者本所御領所務代官也〉とある。それまでの定使(じようし),預,検校(けんぎよう),専当(せんとう)などに代わり,12世紀はじめころ,職(しき)の体系にもとづく中世荘園の確立にともなって出現する。本所の補任を受け,預所佃(つくだ),預所給田,預所名(みよう)などの給分を荘内に与えられる。しかし現実の預所の存在形態はきわめて多様である。まず在京預所と在荘預所がある。肥後国鹿子木(かのこぎ)荘は,根本領主寿妙の孫藤原高方が1086年(応徳3)私領を大宰大弐藤原実政に寄進し〈地頭預所職〉は高方の子孫相伝の職となった。一方実政の権限は,彼がまもなく失脚したため春宮大夫公実の系統に継承され〈領家職〉といわれているが,公実の孫の刑部大輔隆通(願西)は,娘の通子に〈預所職〉を与えている。いわば領家職から分化した預所職である。播磨国福井荘などでも,在京預所と在荘預所の存在が確認される。在京預所にも二つの形態がある。一つは権門・寺院を本家と仰ぎ,その下で事実上家領としての荘園を相伝管理する場合で,預所職=領家職と解される。例えば,平安末期の備後国大田荘は,根本領主橘氏から平重衡が寄進を受け,さらに後白河院を本家に仰いで成立したが,重衡の権限は預所=領家であった。近江国吉富荘は藤原定家の相伝家領であったが,その権利は預所職であった。いま一つは,権門が荘務権をもち,その家司(けいし)に預所職を俸禄として知行させる場合である。例えば,鎌倉初期の近衛家の荘園では,約60荘がその種の家領であり,家司が1人1~3荘の預所職を給され,荘園の管理に当たっている。寺領荘園でも,平安末期東大寺領伊賀国黒田荘の預所として,荘園支配を完成させた覚仁は本寺の〈上座威儀師〉であり,荘官というよりむしろ領家というべき存在である。備後国大田荘を高野山領として確立させた鑁阿(ばんな)もこれに近い。
預所の中には現地に下向して,在地の下級荘官や有力農民を指揮して荘園管理に敏腕をふるった者も多い。鎌倉中期,東寺長者菩提院行遍の下にあって,若狭国太良(たら)荘をはじめ数荘の預所を兼ね,東寺領としての体制を確立させた真行房定宴(じようえん)はとくに著名である。鎌倉時代にあっては多くの荘園で預所が対地頭訴訟の当事者=〈雑掌〉として活躍した。預所は普通1荘1人であるが,大きな荘園では複数の預所または預所代がおかれた。鎌倉期以降は武士が預所になる場合も多い。陸奥国好島(よしま)荘の預所伊賀氏のように,関東御領の場合はもちろんであるが,肥後国阿蘇社領の北条氏のような幕府の口入(くにゆう)による補任,小早川茂平の安芸国沼田(ぬた)荘預所のように,自身が領家にとり入って補任を受けたものもある。総じて鎌倉後半期から武士の預所化や,預所の武士化がすすむ。なお預所は,在地荘官の下司(げし)に対し,中司または上司と呼ばれることがある。中司は在荘預所,上司は在京預所の場合が多い。鎌倉幕府法は御家人が〈傍官上司〉につくことを禁じているが,これは一般に御家人が下司(地頭)であるところに,上司(預所)になる者が生じ,御家人制秩序が解体することをおそれたものである。
執筆者:工藤 敬一
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荘園(しょうえん)管理機関の一つ。「あずかっしょ」とも読み、「中司(ちゅうじ)」ともいう。領家(りょうけ)(領主)の代理者として下級荘官(公文(くもん)、下司(げし))を指揮し、荘地の管理や年貢、公事(くじ)の収納をつかさどった。発生期の荘園には単に「預(あずかり)」とよぶものがあり、専当(せんとう)や検校(けんぎょう)と並んで荘園を管理した。寄進地系荘園では、寄進者である領主や地主が預所に任命されて、それまでどおり実質的に荘園を管理する場合があった。寺領荘園では初め寺僧が、平安後期からは在地の武士が預所に任命されることが多くなった。預所の得分(とくぶん)は一定しないが、給田(きゅうでん)や佃(つくだ)を与えられた。とくに訴訟の場合に領家の代理となるものを雑掌(ざっしょう)といった。
[阿部 猛]
『阿部猛著『日本荘園史』(1972・大原新生社)』
「あずかっそ」とも。中世荘園で,荘園領主の代官として荘務権を執行した荘官または領家をさす。中世荘園の成立契機の多くは寄進にあった。寺社領などでは,寺僧や神職が預所として現地に下り,現地の荘官を指揮する権限をもった。複数の荘園の荘務を担う預所もあった。中流貴族や官人が荘務権をもつ国免荘(こくめんのしょう)を院や摂関家などを本家として再寄進した場合,領家兼預所となることが多かった。開発(かいほつ)領主が在地支配権を掌握したまま権門勢家に所領を寄進して荘園とした場合も,預所となることがあった。
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…具体的には年貢の管理をはじめ地頭の権利・義務を代行し,領家との間に紛争が生じた場合には,地頭の訴訟代理人となって,訴状や答弁書をしたため訴訟の場に立つこともあった。ただし領家では《沙汰未練書》にあるごとく,所務の代官は預所(あずかりどころ)で,沙汰の代官は雑掌(ざつしよう)であったことからすれば,訴訟にあたった地頭代が,つねに地頭に代わって所務を執行した地頭代と同一人であったとはかぎらない。また,多く一族・郎等がこれに任ぜられたとはいえ,山僧,商人を任じた場合もあった。…
… 地主職は,この例にも見られるようにその土地は相伝・譲与され,また開発領主あるいはその所領の相伝者が,地主としての立場において所領を貴族・大社寺など有勢のものに寄進する場合もあった。1184年(元暦1)5月の後白河院庁下文(案)によれば,越前国河和田荘はもと藤原周子の先祖相伝の私領であったが,待賢門院のはからいで法金剛院に寄進し,その際〈地頭預所職〉は周子が留保して子孫相伝することになったという由来が述べられている。いわゆる寄進地系荘園成立の一例であるが,文中に〈当御庄者,是当預所帯本公験,代々相伝之地主也〉と記され,領家への荘園寄進によってその預所となった本来の領主が,その後も依然として地主と呼ばれていたことが判明する(仁和寺文書)。…
…荘園の経営に当たる上級荘官。下司(げし)に対する呼称で,一般には預所(あずかりどころ)をさす。《平戸記》には〈寛治の定文に依るべくんば,上司と申すべきは是預所也〉とある(ただし,例は少ないが預所を〈中司〉と呼ぶこともある)。…
…これは,中央貴族の所有する荘園が全国各地に分散したり,在地武士の開発所領が広大な面積をほこるようになるにつれ,彼らの直接支配が困難になったという事情によるものにほかならない。中央貴族の場合でいうと,荘園を知行する中央貴族を領家(りようけ)といったが,その領家のもとには荘園を支配・管理する役人として,預所(あずかりどころ)が存在しているのが一般的であった。しかし領家の荘園の数が増えるにつれて,預所はすべての荘園を直接管理することが困難になったため,預所代という代官を任命して,荘園の管理に当たらせることにしたのである。…
…ここに下司平季広―領家聖顕―本家蓮華王院という寄進地系荘園の典型的な構造が成立したのである。この場合,領家は本家に対して年貢納入の責任を負うことから預所(あずかりどころ)(本家からみて預所)と称することもあった。平安末期の寄進地系荘園である備後国大田荘では,開発領主から寄進をうけ,さらに後白河院を本家と仰いで寄進した平重衡(清盛の子)は,その寄進に際し,〈預所職に至りては重衡の子孫相伝し知行せしめんがため〉と述べており,領家に位置しながらもみずからを預所と称している。…
※「預所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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