台道村(読み)だいどうむら

日本歴史地名大系 「台道村」の解説

台道村
だいどうむら

[現在地名]防府市大字台道

大海おおみ湾に面する村で、東は凌巌寺りようごんじ山の西南麓、西は福西ふくにし山・大海山などの麓を村域とする。北西八幡はちまん山を境に吉敷よしき鋳銭司すぜんじ(現山口市)に接し、北東切畑きりはた村である。吉敷よしき郡の内で、萩藩領、小郡宰判に属した。

台道村の名は「注進案」に「小俣庄台道村」として記されるのが早く、それ以前は小俣おまた村とか、小俣村下津令しもつりようとして記される。

村内の北東小俣を中心とした地が、平安時代すでに荘園とされており、保延三年(一一三七)の待賢門院庁下文案(東大寺図書館所蔵文書)に「小俣庄」とある。また下津令の地名は正長元年(一四二八)八月一八日付で大内盛見が国清寺宛に出した寄進状(「寺社証文」所収山口常栄寺文書)に「周防国下津令内土貢参拾石地」とみえる。

慶長一五年(一六一〇)検地帳では「小俣村・下津令」として総石高一千九三三石余、田方が一九七町余で一千六一八石余、畠方が三六町余で一七九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報