小早川氏(読み)こばやかわうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小早川氏」の意味・わかりやすい解説

小早川氏
こばやかわうじ

中世安芸国(あきのくに)の武士団。祖は相模国(さがみのくに)土肥(どい)郷(神奈川県湯河原(ゆがわら)一帯)を本貫とする土肥実平(さねひら)。名字は土肥氏の所領早河荘(はやかわのしょう)(小田原市)による。実平は1184年(元暦1)備前(びぜん)・備中(びっちゅう)・備後(びんご)惣追捕使(そうついぶし)(後の守護)に任じられ、その子遠平(とおひら)は「安直(あじか)」・沼田(ぬた)本荘・新荘を勲功の賞として獲得。しかしその子惟平(これひら)が和田義盛(わだよしもり)にくみして誅(ちゅう)されたため、平賀(ひらが)氏から迎えた養子景平(かげひら)を中心に本拠安芸に移し在地領主として成長した。承久(じょうきゅう)の乱(1221)後、都宇(つう)竹原荘(たけはらのしょう)を得た茂平(しげひら)は、嫡子雅平(まさひら)に沼田本荘(沼田小早川家)、四男政景(まさかげ)に竹原荘(竹原小早川家)を与えて2家を分立させ、さらに椋梨(むくなし)氏、小田(おだ)氏を分出させた。庶子家は一個の独立した一族結合(惣領制)を展開、竹原小早川家はその代表例で、嫡子単独相続を鎌倉期から行い、惣領家と同格の地位を築き、南北朝内乱、応仁(おうにん)・文明(ぶんめい)の乱(1467~77)などを通じて対立を続けた。一方惣領家は将軍権力を背景にもつ惣領職をてことして椋梨氏以下の庶子家を家臣団として従属させる体制を志向、庶子家を支配下に組み入れ、非血縁の家臣団とともに配下に収めて、安芸国人衆(こくじんしゅう)の一員として在地に強力な領主制を確立した。

 また惣領家は荘内の商品流通を掌握し、瀬戸内海島嶼(とうしょ)に拠(よ)る海賊衆も統轄し、中国との貿易も行っている。とくに沼田市(いち)は鎌倉末期に現れ、小早川氏は1340年(興国1・暦応3)に「市場禁制」を出し、家臣団と商人との分離(兵商分離)を令している。1544年(天文13)毛利元就(もうりもとなり)の三男隆景(たかかげ)が竹原家の養子となり、続いて沼田家をもあわせた。戦国期には吉川(きっかわ)氏とともに毛利氏の重臣となり活躍、「毛利の両川(りょうせん)」といわれた。隆景は秀吉五大老一人で、智将として聞こえ、信も厚かったが子がなく、1594年秀吉の猶子(ゆうし)秀秋(ひであき)を迎えて嗣子(しし)とした。しかし秀秋にも嗣子がなく、1602年(慶長7)断絶。1879年(明治12)に至り勅により毛利三郎に家督を継がせて再興男爵となる。

[田端泰子]


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百科事典マイペディア 「小早川氏」の意味・わかりやすい解説

小早川氏【こばやかわうじ】

安芸(あき)国の中世豪族。相模(さがみ)国早川荘土肥(どひ)氏の出身。鎌倉初期,安芸沼田(ぬた)荘地頭職を得て本拠を移し,竹原小早川氏・椋梨(むくなし)小早川氏など多くの庶子家を分出した。室町時代には瀬戸内海に進出,海外貿易にも参加。戦国末期に毛利元就(もとなり)の三男隆景が竹原家に養子に入り,沼田本家も継いで,小早川氏は吉川(きっかわ)氏と同じく毛利氏傘下となる。隆景の養子秀秋に継嗣がなく断絶したが,明治に再興。鎌倉初期から近世中期までの《小早川家文書》がある。→小早川隆景小早川秀秋
→関連項目弓削島荘

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改訂新版 世界大百科事典 「小早川氏」の意味・わかりやすい解説

小早川氏 (こばやかわうじ)

中世から近世初期に至る安芸の豪族。相模早川荘土肥郷を本拠とする土肥氏から出,土肥実平の子遠平のとき小早川氏を称した。小早川の家名も地名に由来する。鎌倉初期,遠平が平氏追討の功によって安芸沼田(ぬた)荘地頭職に補され,その孫茂平のとき承久の乱における戦功によって都宇竹原荘地頭職を併せた。茂平のあと沼田・竹原の2家に分かれ,それぞれ支族を分出しながら勢力を拡大していったが,南北朝期に入ると瀬戸内海島嶼部に発展し,海路をおさえて活発な商業活動をおこなうと同時に,さらに海外貿易にも参加した。また,室町期には幕府の奉公衆として活躍のあとを残している。1544年(天文13)毛利家から元就の三男隆景が竹原家に養子として入り,さらに沼田家をも継いで,両家を合わせた。戦国時代以後は毛利家に臣従し,隆景の兄元春が養子となった吉川氏とともに毛利の両川(りようせん)と称された。隆景の養子秀秋に嗣子なく,1602年(慶長7)断絶したが,1879年毛利家より三郎が入って再興,男爵を授けられた。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「小早川氏」の解説

小早川氏
こばやかわし

中世の安芸国の豪族。桓武平氏。土肥実平(さねひら)の子遠平(とおひら)が相模国早川荘(現,神奈川県足柄下郡)を領して小早川氏を称した。さらに安芸国沼田(ぬた)荘(現,広島県三原市)地頭となり,孫茂平(しげひら)のとき沼田荘に移住。のち都宇(つう)・竹原両荘(現,広島県竹原市)を得,沼田・竹原の2家に分立。南北朝期~室町中期には瀬戸内海地方に勢力をふるい,奉公衆としても活躍。戦国期には毛利元就(もとなり)の三男隆景が養子となって沼田・竹原両家をあわせ,毛利氏勢力の一翼をになう。1602年(慶長7)隆景の養子秀秋に嗣子なく断絶。「小早川家文書」が伝わる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「小早川氏」の解説

小早川氏
こばやかわし

中世〜近世初期にかけての安芸 (あき) (広島県)の豪族
相模国(神奈川県)早河庄内土肥郷からおこり,土肥実平 (さねひら) の子遠平から小早川氏を称した。源頼朝により平家追討の功で,遠平が安芸国地頭職に任ぜられ土着。のち毛利元就 (もとなり) の3男隆景が小早川家の養子となり,吉川 (きつかわ) 氏とともに「毛利両川 (りようせん) 」と称された。隆景は豊臣秀吉に仕え,五大老の一人となった。隆景の養子秀秋は関ケ原の戦いで東軍に内通。秀秋の死後,嗣子なく断絶した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小早川氏」の意味・わかりやすい解説

小早川氏
こばやかわうじ

中世,安芸国 (広島県) の豪族。鎌倉時代初期,土肥遠平が小早川氏を称し,安芸国沼田荘地頭に補されて以来,この地方に勢力をふるった。秀秋 (→小早川秀秋 ) に嗣子なく慶長7 (1602) 年断絶したが,明治になって再興,男爵に列した。

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世界大百科事典(旧版)内の小早川氏の言及

【安芸国】より

…承久の乱(1221)にあたり,宗孝親をはじめ厳島神主佐伯氏,葉山氏などは京方に味方したが,乱後孝親の所領の多くが守護に還補された武田氏に引き継がれた。ほかに新補地頭として確かめうるものに,大朝本荘の吉川氏,三入荘の熊谷氏,安芸町村の平賀氏,都宇竹原荘の小早川氏,八木村の香川氏,温科村の金子氏などがある。厳島神主職も佐伯氏から藤原親実に移った。…

【楽音寺】より

…しかし当寺が藤原姓沼田氏代々の氏寺として平安時代に草創されたことはまちがいない。沼田荘の開発領主で下司をつとめた沼田氏が平氏とともに滅んだあと,地頭として入ってきた小早川氏は当寺をみずからの氏寺とし,所領の寄進などを重ねている。また当寺は沼田地方の中心的神社である一宮の管理にもあたっている。…

【水軍】より

…同じく熊野海賊出身の堀内氏善(紀伊新宮)や杉若氏宗(紀伊田辺)も大名化している。村上水軍(海賊)を構成する能島氏,来島(くるしま)氏,因島氏らは古くから瀬戸内海の交通を支配していたが,同じく瀬戸内の海賊衆である乃美氏,小泉氏,生口氏らは小早川氏の一族であったことから,村上海賊と毛利,小早川氏との間に盟約関係が結ばれるようになる。北九州の海賊衆である松浦党(まつらとう)の場合も,中世末期には平戸松浦氏,宇久五島氏らによって統合がすすめられるなかで天下統一を迎えた。…

【竹原荘】より

…しかし承久の乱で同荘公文は京方に味方して荘を追われ,沼田荘地頭小早川茂平が都宇・竹原荘地頭に任ぜられた。のち茂平の子政景が同荘地頭職をつぎ竹原小早川氏の祖となった。竹原小早川氏の本拠は木村城であった。…

【沼田荘】より

…やがて備前・備中・備後3ヵ国の惣追捕使(守護)であった土肥実平およびその子の遠平が地頭として入部してきた。その後その子孫である小早川氏が地頭職を相伝領掌するが,同荘における小早川氏の活動が明らかとなるのは遠平の孫の茂平からである。 沼田荘の中央にそびえる高山城に拠った小早川氏は,中世を通じて同荘の実質的支配を行った。…

【礼銭】より

…朝廷,幕府などの官職,役職への補任や継目安堵(つぎめあんど)(将軍などの代替りに際して,家臣らが前代同様に所領を安堵してもらう),課役免除などの礼として出される場合が多く,公私混同の結果として賄賂が公然と利権化して行われたものともいえる。例えば継目安堵の判物下付の礼銭でいえば,小早川氏は,1487年(長享1)継目安堵の御礼に上洛するに際し,庶子家や家臣に分担をさせ,土倉(どそう)に質入れを行って,400貫文弱を調達,上洛費用と礼銭分を調えている(《小早川家文書》)。応仁・文明の乱で,西軍の大内政弘の帰降に際しては,将軍御台日野富子に対して種々の名目で340貫文の礼物が進上されている。…

※「小早川氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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