朝日日本歴史人物事典 「小出秀実」の解説
小出秀実
幕末の幕臣。大和守。土岐月堂の子。小出権之助の養子に入る。嘉永5(1852)年家督相続願が認可される。6年番入,小姓組。文久1(1861)年5月御使番,12月目付,外国掛。2年1月箱館視察,つづいて9月箱館奉行拝命。慶応2(1866)年日露国境画定交渉使節全権を仰せ付けられ,また外国奉行に補せられる(箱館奉行兼任)。ヨーロッパ経由ペテルブルクに到着,アジア局長ストレモフとの間で談判8回におよんだが,樺太分割の交渉成立せず雑居に関する取り決めである「樺太島仮規則」の調印に終わった。翌3年5月帰国,7月勘定奉行,10月留守居,12月町奉行に任ぜられた。
(酒田正敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報