小吉野庄(読み)こよしののしよう

日本歴史地名大系 「小吉野庄」の解説

小吉野庄
こよしののしよう

遺称地は不明であるが、史料上に真賀部まかべ(現勝田町)荒内あらうち(現奈義町)美野みの田井たい(現勝央町)などがみえるので、たき川左岸から梶並かじなみ川右岸の現勝央しようおう町中央部から東、奈義なぎ町南部、勝田町西部一帯に推定される。しかし年貢七〇〇貫文という額からすると、より広い地が庄域であったとも思われる。室町期には南御所と称された大慈だいじ(宝鏡寺、現京都市上京区)領であった。建長(一二四九―五六)前後と推定される某女重陳状(金沢文庫本斉民要術裏文書)によると、和泉尼の所領で子の西阿に譲られ、その後に某女と嫡子加藤景経との間で相論となっている。庄内真壁まかべ村領家職は下生が相伝、貞和三年(一三四七)八月一五日に領家職得分のうち一〇貫文(鎌倉定)一期ののちの追善料所として鎌倉円覚寺正続しようぞく院に寄進、領家職惣分は資寿院内真休庵が領した(「下生寄進状」円覚寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む