日本歴史地名大系 「田井村」の解説
田井村
たいむら
- 岡山県:玉野市
- 田井村
慶長七年(一六〇二)小早川秀秋の老臣伊岐遠江守真利が
田井村
たいむら
中世は大炊寮領田井保として推移。弘治二年(一五五六)六月の明通寺鐘鋳勧進算用状(林屋辰三郎氏蔵)にも「四百文 田井保ヨリ」とあってまだ保名がみえる。永禄六年(一五六三)越前の朝倉勢が三方郡に来攻した際戦闘があり、天正一五年(一五八七)八月中旬の入江三川・原進之丞知行宛行状(武長家文書)に「阿波屋越中守佐柿之城ニ而、越前之勢取懸ケ籠城之節、田井村へも百人斗類兵参、田井野ニ而六拾斗の男、十八、九の男弐人討取、其勢清水の下迄参り候」とある。
三方五湖のうち
田井村
たいむら
田井村
たいむら
田井村
たいむら
田井村
たいむら
指杭村の北東に位置する。集落は南西流する田井川の上流域に形成され、耕地は同川の下流域に展開。寛政一〇年(一七九八)の豊岡藩奉行宛の差上書(池田家文書)によると、当村は古くは
田井村
たいむら
田井村
たいむら
田井村
たいむら
田井村
だいむら
最上川左岸に沿い、北は
田井村
たいむら
田井村
たいむら
- 兵庫県:相生市
- 田井村
田井村
たいむら
田井村
たいむら
田井村
たいむら
南流する
慶長検地高目録によれば村高三九六石余。延宝六年(一六七八)の「日高鑑」では田畑三一町四反余で石高は慶長期とほぼ同じ。家数一一〇、内訳は本役二〇、半役三一、無役一一、庄屋・ありき各一、年寄二、大工・舟大工・おけや・神主・木挽各一、かぢ二、かごふり・紺屋各三、浜之瀬百姓四、舟方二七。
田井村
たいむら
田井村
たいむら
田井村
たいむら
田井村
たいむら
田井村
たいむら
- 大分県:臼杵市
- 田井村
田井村
たいむら
田井村
たいむら
田井村
たいむら
- 兵庫県:加西市
- 田井村
田井村
たいむら
田井村
たいむら
田井村
たいむら
田井村
たいむら
田井村
たいむら
- 大分県:竹田市
- 田井村
大野川支流の
田井村
たいむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報