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奉公衆 ほうこうしゅう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

奉公衆
ほうこうしゅう

室町幕府において,御目見 (おめみえ) 以上の直勤御家人。彼らはおもに,足利氏一門および守護大名の庶流・被官,足利氏の根本被官・家僚的奉行人層,有力国人領主の3者から成り,その所領は東海・東山道西部に集中する。

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百科事典マイペディアの解説

奉公衆【ほうこうしゅう】

室町幕府において将軍に近侍して諸役を務めた御目見(おめみえ)以上の御家人。将軍足利義満から義教のころに制度化されたと考えられる。足利一門および守護大名の庶流,足利氏の根本被官,有力国人層らによって構成。
→関連項目甲賀者御料所土岐氏放生津

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世界大百科事典 第2版の解説

ほうこうしゅう【奉公衆】

室町幕府において将軍に近侍し,近習・申次などの諸役を務めた御目見(おめみえ)以上の御家人。年始,五節句と毎月1日,15日に将軍との対面が行われたので〈節朔(せつさく)衆〉ともいわれた(《貞丈雑記》)。15世紀の将軍足利義政~義稙の時期の番帳でみると,総数は350余人,5番に編成され,五番衆,番方ともいわれたが,各番の長である番頭は〈御伴衆〉として幕政に参与した。その成立期にはなお不明のところがあるが,遅くも将軍義教期には成立しており,応仁の乱後も15世紀末の将軍義稙の河内出陣まではほぼ健全に機能していた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

奉公衆
ほうこうしゅう

室町幕府において将軍に近侍した御目見(おめみえ)以上の直勤御家人。番方(ばんかた)、番衆(ばんしゅう)、五番衆(ごばんしゅう)ともいう。また御相伴衆(ごしょうばんしゅう)・御伴衆(おともしゅう)なども含め、奉行衆(ぶぎょうしゅう)に対する呼称として広く使われた場合もある。室町幕府には当初から、鎌倉幕府の御所内番を受け継ぎ、直勤の御家人を編成する「当参奉公」の制度があったが、自立性を増す守護大名に対して将軍権力の強化を図った足利義満(あしかがよしみつ)から義教(よりのり)の時期に奉公衆の制度が確立した。彼らの出自は守護大名の庶流、足利氏の根本被官、国人(こくじん)領主など多様であった。奉公衆は五番に編成され、日常的には番頭の下で御所内の諸役や将軍御出の供奉(ぐぶ)などを務め、戦時には将軍の親衛隊として出陣した。将軍は奉公衆に対し、御料所の給与や所領への守護使不入の承認など、その給養に意を用いた。奉公衆の制度は、応仁・文明の乱後に将軍義稙(よしたね)が河内(かわち)へ赴く頃までは機能していたが、明応の政変によって事実上崩壊、詰衆(つめしゅう)などとして形骸化する。[福田豊彦]

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世界大百科事典内の奉公衆の言及

【鎌倉府】より

…関東府ともいう。その政治組織は,〈天子ノ御代官〉たる鎌倉公方足利氏のもとに関東管領,守護,奉公衆,奉行衆から成り立っていた。鎌倉公方は,任国内の武士に対する軍事統率権や土地安堵権など,そして諸寺社の住持職の補任権や吹挙権などを保持したが,関東管領と任国内の守護任免権は室町将軍の保持するところであった。…

【小侍所】より

…小侍の配下には,恪勤(かくご),走衆や朝夕雑色(ちようじやくぞうしき),公人(くにん)雑色などが属して雑役などを務めたと考えられる。義教・義政期に整えられる奉公衆(番方)には小侍番の継承発展という性格が認められる。【福田 豊彦】。…

【番頭】より

番衆,番方(ばんかた)(番方・役方)の各の筆頭者を指し,〈ばんとう〉ともいわれる。中世・近世には警固などの役は主として分番交代して行われたので各種の番頭があるが,中世には,鎌倉幕府の雑色(ぞうしき)番頭,これを継承する室町幕府の公人(くにん)番頭,制度として後世に大きな影響を及ぼす室町幕府の奉公衆の番頭などが特に著名である。番頭と番衆との関係はしばしば親子に擬せられ,番頭は相番の者を自宅に招いて饗応し,日常生活や婚姻,子弟のことまで世話をやくなどして,番内の親密なとりまとめに努めることが多かった。…

【番衆】より

…将軍もその給養に意を用い,御料所などを預け,その所領には御家人役・段銭の京済(きようせい),守護使不入などの特権を与えたので,一般の地頭御家人が多く守護の被官化する中で,彼らは御目見(おめみえ)以上の直勤御家人として特別の地位を得ることになった。その中核はやがて5番に編成された奉公衆になるが,彼らは番ごとに番頭のもとで6日連続の小番に従事し,申次・近習詰番などの御所内諸番役を務めるとともに,将軍の御出には帯刀(たちはき)などとして警固に当たったが,鎌倉時代に比べると番ごとの連帯性が強まり,将軍親衛軍としての色彩が強くなっている。足利義政のころには守護大名は御相伴衆,国持,外様などに分類されて家柄的に序列付けられ,御所内勤務者も御伴衆,御部屋衆,番頭,申次衆,近習,小番,走衆,御末衆などのように勤務内容によって格付けされ,しだいに身分的な格差を伴って分化していく傾向が認められる。…

【番帳】より

…列挙すると,(1)永享以来御番帳,(2)文安年中御番帳,(3)常徳院御動座当時在陣衆着到(以上《群書類従》所収),(4)室町殿文明中番帳,(5)同永享文正中番帳,(6)同在陣衆名簿(以上,水戸彰考館蔵),(7)東山殿時代大名外様附(京都大学蔵),(8)室町殿番帳(内閣文庫蔵〈蜷川文庫〉所収)となる。いずれも種々の史料を集めたもので,御相伴(おしようばん)衆,御供衆,奉公衆などの名簿を含むが,それぞれに時代考証が必要である。このうち大部を占める奉公衆の番帳としては,(2)(8)は1444‐48年の間のもの,(1)(4)は1450‐54年,(3)(6)は1487‐89年,(7)は1491‐92年の間のものと推定されており,相互に対照させることによって誤脱を正し,応仁の乱を挟んだこの時代の幕府体制の変化をみることができる。…

【美濃国】より

…この土岐氏の実力は,鎌倉時代以来国内に分布した一族を中心とする強力な軍事力と,半済(はんぜい)などによって国内の膨大な国衙領を手中にした経済力にもとづくものであった。その後将軍足利義満は,土岐氏の乱を誘発するとともに,国内に分布した土岐氏一族および有力国人を奉公衆(直轄軍)に吸収し,土岐氏の強大化をけんせいした。石谷(いしがい),多治見,揖斐,明智氏などの土岐氏一族をはじめ,東濃の遠山氏,郡上の東(とう)氏,西濃の宇都宮氏,山県郡の山県氏,武儀郡の佐竹氏などが奉公衆に編成されたのである。…

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