小島与一(読み)コジマ ヨイチ

20世紀日本人名事典 「小島与一」の解説

小島 与一
コジマ ヨイチ

明治〜昭和期の博多人形



生年
明治19(1886)年8月17日

没年
昭和45(1970)年6月6日

出生地
福岡県福岡市

主な受賞名〔年〕
大阪博覧会1等賞〔明治33年〕「舞妓」,パリ万国博覧会銀賞〔大正13年〕「三人舞妓」,黄綬褒章〔昭和37年〕,勲五等瑞宝章〔昭和40年〕,福岡県無形文化財〔昭和41年〕

経歴
明治33年以来人形作り一筋の一生を送り、博多人形の第一人者として“名人与一”の異名をとった。火野葦平の小説「馬賊芸者」「博多人形師」のモデルでもある。昭和37年黄綬褒章、40年勲五等瑞宝章を受け、41年には福岡県無形文化財に指定された。平成2年幻の名作と言われていた旧陸軍加藤“隼”戦闘隊長・加藤建夫少将の像が、仙台市の自衛隊駐屯地で発見された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小島与一」の解説

小島与一 こじま-よいち

1886-1970 明治-昭和時代の人形師。
明治19年8月17日生まれ。33年博多人形師白水(しろうず)六三郎に入門。42年大阪博覧会で「舞妓」が1等入賞。その後7代松本幸四郎の示唆をうけ,歌舞伎人形に独自の作風をひらく。「名人与一」とよばれ,おおくの後継者をそだてた。昭和45年6月6日死去。83歳。福岡県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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