火野葦平(読み)ヒノアシヘイ

デジタル大辞泉 「火野葦平」の意味・読み・例文・類語

ひの‐あしへい【火野葦平】

[1907~1960]小説家。福岡の生まれ。本名、玉井勝則。日中戦争に兵士として従軍中に、「糞尿譚ふんにょうたん」で芥川賞受賞。他に「麦と兵隊」「花と竜」など。

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精選版 日本国語大辞典 「火野葦平」の意味・読み・例文・類語

ひの‐あしへい【火野葦平】

  1. 小説家。本名玉井勝則。福岡県出身。早稲田大学在学中、中山省三郎、田畑修一郎らと「街」を創刊。大学在学中入営し、除隊後中退。労働運動関心をもち活動するが、検挙され転向。昭和一二年(一九三七)「糞尿譚」で芥川賞受賞。戦争中陸軍報道部員として従軍。「麦と兵隊」等の戦争小説を書く。他に「花と龍」「紅い国の旅人」など。明治四〇~昭和三五年(一九〇七‐六〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「火野葦平」の意味・わかりやすい解説

火野葦平
ひのあしへい
(1907―1960)

小説家。本名玉井勝則(かつのり)。明治40年1月25日福岡県若松市生まれ。早稲田(わせだ)大学英文科中退。小倉中学時代から文学に関心を寄せ、早稲田大学高等学院のときには童話集を自費出版する。大学では田畑修一郎らと『街』を創刊したり詩誌を発行して活発な文学活動を展開したが、卒業を前に福岡歩兵24連隊に入隊し、除隊後は家業の沖仲仕玉井組を継ぎ、かたわら沖仲仕の労働組合を結成して労働運動にかかわって文学廃業を決意した。しかし検挙されて転向を誓い、地元の同人誌で文学活動を再開し、『糞尿譚(ふんにょうたん)』(1937)が芥川(あくたがわ)賞を受賞、日中戦争に応召中だったため陣中で授与式が行われて話題となった。ついで『麦と兵隊』(1938)を戦地から送って大きな反響をよび、帰還後は兵隊作家とよばれてマスコミの寵児(ちょうじ)となり、太平洋戦争中は報道班員として活躍した。戦後、厳しく戦争責任を指弾され戦犯の汚名を着せられたが、生家を描いた『花と龍』(1952~1953)が評判を得、遺稿となった『革命前後』(1959)が没後、芸術院賞を受賞した。その戦争文学には真摯(しんし)な祖国愛と素朴な庶民心情があふれ、戦後も兵隊精神への愛着を貫いた。昭和35年1月24日睡眠薬自殺。

[都築久義]

『『火野葦平全集』全八巻(1960・角川書店)』『原田種夫著『実説火野葦平・九州文学とその周辺』(1961・大樹書房)』『玉井政雄著『火野葦平回想』(1964・自家版)』『安田武著『定本戦争文学論』(1977・第三文明社)』

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20世紀日本人名事典 「火野葦平」の解説

火野 葦平
ヒノ アシヘイ

昭和期の小説家



生年
明治39(1906)年12月3日(戸籍:明治40年1月25日)

没年
昭和35(1960)年1月24日

出生地
福岡県若松市(現・北九州市若松区)

本名
玉井 勝則(タマイ カツノリ)

学歴〔年〕
早稲田大学文学部英文科中退

主な受賞名〔年〕
芥川賞(第6回)〔昭和12年〕「糞尿譚」,朝日新聞文化賞〔昭和15年〕「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」,福岡日日新聞文化賞〔昭和15年〕「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」,日本芸術院賞(文芸部門・第16回)〔昭和34年〕「革命前後」

経歴
中学時代から創作を試み、大正14年童話集「首を売る店」を刊行。のち「聖杯」「文学会議」などに加わる。昭和4年家業の玉井組を継ぎ、石炭沖仲仕となる。6年ゼネストを指導、翌年逮捕され転向。9年から火野葦平の筆名を使用。12年中国へ出征、出征直前に詩集「山上軍艦」を刊行、出征中「糞尿譚」で芥川賞を受賞。従軍中「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」の兵隊三部作を発表し、以後も多くの戦争小説を書く。太平洋戦争中はフィリピン、ビルマで従軍。18年原田種夫の編集による詩集「青狐」を刊行。23年戦争協力者として追放を受け、25年に解除。解除後は多忙な作家生活に入り、「花と龍」「赤い国の旅人」「革命前後」などを発表。34年「革命前後」で日本芸術院賞を受賞したが、35年に睡眠薬自殺をした。「火野葦平選集」(全8巻 東京創元社)がある。60年故郷の北九州市若松区の若松市民会館内に火野葦平資料館が設置され、平成11年には旧居・河伯洞が改修オープンされた。

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改訂新版 世界大百科事典 「火野葦平」の意味・わかりやすい解説

火野葦平 (ひのあしへい)
生没年:1907-60(明治40-昭和35)

小説家。福岡県生れ。本名玉井勝則。早稲田大学英文科中退。小倉中学時代から活発に文学活動を行っていたが,大学卒業直前に兵役に服し,除隊後は家業の沖仲仕・組頭を継ぎ,労働運動にも従事した。が,検挙されて転向し,地元の同人誌に参加して文学に復帰。1937年,日中戦争に応召し,出征前に書いた《糞尿譚》の芥川賞受賞を陣中で知る。戦地から送った従軍記《麦と兵隊》が評判を得て,帰還後も〈兵隊作家〉として活躍。戦後,〈戦犯作家〉の烙印を押されたが,自伝的長編の《花と竜》(1952-53)や《革命前後》(1959)によって文学的力量を発揮した。死因はのちに睡眠薬自殺と判明。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「火野葦平」の意味・わかりやすい解説

火野葦平
ひのあしへい

[生]1907.1.25. 福岡,若松
[没]1960.1.24. 若松
小説家。本名,玉井勝則。 1928年早稲田大学英文科中退。 29年家業の港湾荷役業玉井組の跡目を継ぎ,労働組合を結成して港湾ゼネストを指導,翌年逮捕されて転向し,『糞尿譚』 (1937) で芥川賞を受賞。同年召集を受け,中国大陸に転戦しながら『麦と兵隊』 (38) ,『土と兵隊』 (38) ,『花と兵隊』 (38~39) を書いた。第2次世界大戦後は公職追放指定を受け,50年解除後,『赤道祭』 (51) ,『花と竜』 (52~53) ,『革命前後』 (59) を書いた。死後,遺族より自殺と発表された。 60年生前の業績により日本芸術院賞が贈られた。

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百科事典マイペディア 「火野葦平」の意味・わかりやすい解説

火野葦平【ひのあしへい】

作家。本名玉井勝則。福岡県生れ。早大英文科中退。労働運動に従事,検挙されて転向。日中戦争の応召前に書き,同人雑誌《文学会議》に1937年発表した《糞尿譚》で芥川賞。受賞は陣中で知った。従軍中の作品《麦と兵隊》がベストセラーとなり,《土と兵隊》《花と兵隊》を次々に書いて一躍流行作家となった。戦後に《花と竜》《革命前後》などがある。睡眠薬で自殺。
→関連項目早稲田派

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「火野葦平」の解説

火野葦平 ひの-あしへい

1906-1960 昭和時代の小説家。
明治39年12月3日生まれ。家業の港湾荷役業玉井組をつぐ。昭和13年日中戦争に従軍中,「糞尿譚(ふんにょうたん)」で芥川賞を受賞。「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」の兵隊三部作で流行作家となる。戦後,「青春と泥濘(でいねい)」「花と竜」「革命前後」などを発表。35年芸術院賞。昭和35年1月24日睡眠薬により自殺。53歳。福岡県出身。早大中退。本名は玉井勝則。
【格言など】死にます。芥川竜之介とはちがうかも知れないが,或る漠然とした不安のために(残されたメモに)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「火野葦平」の解説

火野葦平
ひのあしへい

1907.1.25~60.1.24

昭和期の小説家。本名玉井勝則。福岡県出身。早大中退。労働運動に関心をもち,家業玉井組を継いで石炭沖仲士として働くが,ゼネストの指導などで逮捕され転向。1937年(昭和12)応召,中国の杭州湾に敵前上陸する。同年「糞尿譚」で芥川賞を受賞。翌年の徐州作戦に軍報道班として従軍,それに取材した「麦と兵隊」はベストセラーとなる。戦後も旺盛な執筆活動を行った。

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367日誕生日大事典 「火野葦平」の解説

火野 葦平 (ひの あしへい)

生年月日:1906年12月3日
大正時代;昭和時代の小説家
1960年没

火野 葦平 (ひの あしへい)

生年月日:1907年1月25日
昭和時代の小説家
1960年没

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世界大百科事典(旧版)内の火野葦平の言及

【徐州】より

…1938年,前年の華北・華中進攻につづいて,両戦線を結合しようとした日本軍は,両方面より徐州に向けて進軍し,国民党軍と戦った(徐州作戦)。この戦役は従軍した火野葦平の《麦と兵隊》によってもよく知られている。また1948‐49年には北西方から進攻した共産軍が,徐州の国民党軍を攻撃して破り,長江以北の解放をなしとげた(淮海戦役)。…

【麦と兵隊】より

火野葦平の長編小説。1938年(昭和13)8月,《改造》に発表。…

※「火野葦平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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