朝日日本歴史人物事典 「小島宝素」の解説
小島宝素
生年:寛政9(1797)
江戸後期の幕府医官。江戸の生まれ。母は前野良沢の娘。名は尚質。字は学古。代々江戸幕府医官を勤め,文化10(1813)年医学館薬調合役。のち番医,奥詰,西丸奥医師,医学館世話役などを歴任。自らの著書は少ないが,善本医籍の収集に努め,考証学者として書誌校勘学に通じた。『聖済総録』『千金要方』の校刊や『新修本草』『黄帝内経太素』の伝写に尽力。嗣子の尚真(春沂)も学風を継ぎ,多紀元堅に学び,渋江抽斎や森立之らと活動した。当時の書誌学は中国をしのぐ水準に達し,小島父子の旧蔵書の多くはのちに清の外交使・楊守敬の蔵に帰した(台湾故宮博物院蔵)。<参考文献>森鴎外『小島宝素』
(小曾戸洋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報