日本歴史地名大系 「小川浦」の解説
小川浦
おがわうら
中世以来漁業が盛んで、慶長七年(一六〇二)六月の若狭国浦々漁師船等取調帳(桑村家文書)によれば船四八艘があり、惣中で鯖・鰯網三かわ(張)を有した。しかしこの頃には舟は草分百姓の一二家に独占されていたらしく、慶応二年(一八六六)の記録覚帖(安原家文書)は「百六拾年以前迄は脇には船持は無御座候、依之小物成御運上銀長方として致し来り候、追て家数ハ多く相成候故、脇方より私共に船を持たせ呉れ、共に沖漁業も為致呉れる様に被相願候処、村持合之中一統之に致遣し候、夫より小物成御上納等も割合に相成候事」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報