小松原小路(読み)こまつばらこうじ

日本歴史地名大系 「小松原小路」の解説

小松原小路
こまつばらこうじ

[現在地名]久留米市京町きようまち

京隈きようのくま小路の南、筑後川左岸にある侍小路。京隈小松原とよばれることが多い。延宝二年(一六七四)五月柳原やなぎはらにいた津田勘兵衛ほか一〇名の武家屋敷を京隈小松原に移したことに始まる。同四年柳原侍屋敷では洪水の被害が大きいため、さらに丹羽頼母ほか四名の侍屋敷を移した(米府年表・石原家記)。享保二年(一七一七)鵜飼甚作宅から出火、小松原全域が焼失(石原家記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む