小松彰(読み)こまつ・あきら

朝日日本歴史人物事典 「小松彰」の解説

小松彰

没年:明治21.3.24(1888)
生年天保13.3.9(1842.4.19)
明治前期の官僚,のち実業家として活躍。松本藩(長野県)藩士。幼名は金八,左右輔。藩校崇教館に学び,上京後は塩谷宕陰佐久間象山師事する。新政府にあっては,倉敷県(岡山県)判事,文部大丞,豊岡県(兵庫県,京都府)県令などを歴任。明治15(1882)年以降,実業界に転じ,東京株式取引所初代頭取となる。維新期には貢士選出に当たるなど,広い視野を持った論客として信望を得た。

(笠原英彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小松彰」の解説

小松彰 こまつ-あきら

1842-1888 明治時代の官僚,実業家。
天保(てんぽう)13年3月9日生まれ。もと信濃(しなの)(長野県)松本藩士。江戸で塩谷宕陰(しおのや-とういん),古賀謹一郎にまなび,帰郷後は佐久間象山(しょうざん)に師事。維新後,文部大丞,豊岡県令などをつとめる。のち東京株式取引所頭取,東京米商会所頭取などを歴任した。明治21年3月24日死去。47歳。通称は左右輔。

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