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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
幕末の進歩的儒官、外交官。江戸に生まれる。名は増(まさる)、字(あざな)は如川。謹堂または茶渓と号した。祖父の精里、父の侗庵(どうあん)は漢学者ながら開国論者であり、彼も海外に目を向けた。ハワイからアラスカを見聞した漂民の次郎吉の談話をまとめて『蕃談(ぱんだん)』(1849)を著し、1853年(嘉永6)ロシア使節プチャーチンが来航したおりには異国応接掛として長崎に派遣され交渉にあたった。洋学研究機関蕃書調所(ばんしょしらべしょ)の創設に尽力し、初代頭取となり(1855~62)、西洋研究の官学における確立者として功績が大きい。オランダの雑誌記事の漢訳文集『度日閑言』25巻、そのほか詩集、文集(いずれも未刊)を残している。
[石山 洋]
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中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...