…ほとんどがヤマトシジミで占められる(98%以上)奥湾性貝塚で,貝層が北側台地上を覆う広大な貝塚であったらしいが,現在は台地上の神社付近と,台地北側崖線付近に残存するにすぎない。古くから知られ,鳥居竜蔵,小林久雄らによって調査され,隣接の阿高貝塚とともに,九州縄文土器編年の基本となった。1951年金関丈夫,坪井清足らによって発掘調査が行われ,貝層中より後期御領式土器,貝層下より西平式土器が出土した。…
※「小林久雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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