小林良正(読み)コバヤシ リョウセイ

20世紀日本人名事典 「小林良正」の解説

小林 良正
コバヤシ リョウセイ

昭和期の経済学者 専修大学名誉教授・元学長。



生年
明治31(1898)年3月1日

没年
昭和50(1975)年12月29日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京大学経済学部卒

学位〔年〕
経済学博士

経歴
専修大学で経済史を講義、一方東大、明大の講師を務めた。昭和5年青年無産者新聞にカンパして治安維持法違反に問われ大学を辞職。野呂栄太郎主宰の「日本資本主義発達史講座」の執筆者として参加。11年この講座に「日本封建制講座」を企画推進中、7月コム・アカデミー事件で平野義太郎らとともに検挙され留置された。釈放後、服部之総と花王石鹼嘱託となり同社の「五十年史」を共著。17年ジャカルタの海軍武官府に嘱託として赴任、インドネシア社会について調査。戦後、専修大学、明治大学に復帰した。学術会議会員、日独協会理事を務めた。定年後は「アジア的生産様式研究」を執筆。50年には向坂逸郎ら社会主義協会の日本共産党・講座派批判に反論自費で「日本資本主義論争の回顧」を出版。他に「日本産業の構成」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小林良正の言及

【コム・アカデミー事件】より

…《日本資本主義発達史講座》の刊行(1932‐33)にともない,明治維新や地主制の性格をめぐる日本資本主義論争は白熱化した。この論争を踏まえて日本社会の半封建的性格を究明しようとする立場から,同講座の編集者であった山田盛太郎,平野義太郎,執筆者であった小林良正,相川春喜らが中心となって,1934年末から〈日本封建制講座〉刊行の企画が進められ,執筆準備のための共同研究も行われていた。36年6~7月,〈日本封建制講座〉関係者は治安維持法違反で一斉検挙された。…

※「小林良正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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