東京都千代田区神田神保町に本部をおく私立大学。1880年,アメリカ留学から帰国した相馬永胤,田尻稲次郎ら4名を中心に,慶応義塾夜間法律科,箕作秋坪の三叉学舎法律経済科,彼ら自身の東京攻法館法律科を統合,福沢諭吉の簿記講習所を仮校舎として京橋区木挽町に開設された夜間2年制の〈専修学校〉を起源とする。学問は一技一芸を専修し,〈実用ノ知識ト技能トヲ併具スル〉人格の養成を目的とした。外国語に不慣れの多数の勤労青年に法律学修得の道を開くため,日本語による講義を特色とした。1893年,学生激減により法律科募集停止。経済学科(理財科)に主力をうつす。1913年専修大学と改称,23年大学令による大学に昇格,第2次大戦後の49年新制大学に移行した。現在,経済・法・経営・商・文・ネットワーク情報の6学部,5研究科の大学院,短期大学などをもつ。
執筆者:大沢 勝
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1880年(明治13)に夜間2年制の専修学校(校名)として創立。創立者はアメリカの大学で法律学や経済学を修め,帰国後は官僚として活躍した相馬永胤・田尻稲次郎・目賀田種太郎・駒井重格らである。当時,経済科の設置は日本初で,法律科の設置も私学では最初であった。第2次世界大戦前より大学として公的認可を受けた私立大学の一つで,1922年(大正11)に専修大学として認可。2016年(平成28)5月現在,東京都千代田区の神田および神奈川県川崎市の生田キャンパスをメインに,7学部6研究科(法科大学院を含む)を展開し,1万9723人の学生を収容する大規模総合大学である。社会に対する報恩奉仕を建学の精神とし,質実剛健・誠実力行を学風とする。近年は建学の精神を現代的に捉え直し,「社会知性Socio-Intelligenceの開発」を21世紀ビジョンに据えて,先進的な取組みを行う。教育・研究に加え,社会や地域への貢献活動も重視し,2009年にサテライトキャンパスを開設して,生涯学習の推進や,教職員や学生の教育研究・活動成果を積極的に公開している。
著者: 戸村理
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私立。1880年(明治13)アメリカに留学経験のある相馬永胤(そうまながたね)(1850―1924)、田尻稲次郎(たじりいなじろう)(1850―1923)、目賀田種太郎(めがたたねたろう)(1853―1926)、駒井重格(こまいしげただ)(1853―1901)により、日本の青年に知識を移植しようとしてつくられた、日本語による講義の法律・経済専攻の夜間二年制の専修学校を起源とする。1903年(明治36)専門学校令による専修大学(専門部)となり、1922年(大正11)大学令による大学となった。1949年(昭和24)新制大学に移行。2014年(平成26)時点で、経済学(一部・二部)、法学(一部・二部)、経営学、商学(一部・二部)、文学、ネットワーク情報学、人間科学の各学部と、経済学、法学、文学、経営学、商学、法務の各研究科からなる大学院、ならびに宮城県石巻(いしのまき)市に理工学、経営学、人間学の3学部と、理工学、経営学の各研究科からなる大学院をもつ石巻専修大学を併設する。本部は東京都千代田区神田神保町(かんだじんぼうちょう)3-8-1。
[喜多村和之]
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