日本大百科全書(ニッポニカ) 「小治田安万侶墓誌」の意味・わかりやすい解説
小治田安万侶墓誌
おはりだのやすまろぼし
平城京右京三条二坊に居住した官人、小治田安万侶の墓誌。奈良県奈良市都祁(つげ)甲岡(こうおか)の丘陵斜面に築かれた盛り土から発見された木櫃(きびつ)に、立てかけた状態で出土。和同開珎(わどうかいちん)銀銭や三彩小壺(こつぼ)などを伴う。墓誌は鋳銅製短冊(たんざく)形の板3枚からなり、鍍金(ときん)した主板に3行44字の銘文を刻み、副板2枚にはそれぞれ「左琴」「右書」の銘と埋葬年月日を刻む。銘文により、安万侶は蘇我(そが)氏の同族小治田朝臣(あそみ)出身で従(じゅ)四位下まで昇進した官人であること、神亀(じんき)6年(729)2月9日に没したことが知られる。なお、「左琴」「右書」(琴棋書画の風流韻事を示す)という副板を伴う例はほかにないが、奈良時代官人層の中国的教養観を示すものとして注目される。国の重要文化財。
[大脇 潔]