朝日日本歴史人物事典 「小田幾五郎」の解説
小田幾五郎
生年:宝暦5(1755)
江戸時代の対馬藩の朝鮮語通詞。幼名を五郎八。貿易特権商人「六十人」の一族,小田藤八郎の家に生まれたため,幼少より朝鮮語に接する環境にあった。対馬の朝鮮語稽古所でさらに語学研修に励み,通詞職を歴任。最上位の大通詞を27年間勤めながら,指南役として後進の教育にも当たる。朝鮮訳官との親交も深く,知見した諸事を『象胥紀聞』『草梁話集』『通訳酬酢』『北京路程記』などにまとめ,独自の朝鮮学を極める。晩年に詠んだ「通弁は秋の湊の渡し守り往き来の人のこゝろ漕ぎ知れ」の和歌は,生涯を通詞一筋に捧げ,真の通詞を追い求めた幾五郎の人柄を偲ばせる。
(田代和生)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報