朝鮮半島と周辺の島で話されている言語で,大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の国語。現在,大韓民国では韓国語という。中国東北地方では吉林省の延辺朝鮮族自治州を中心に多くの朝鮮族住民がおり,日本やアメリカのハワイ州および本土にもかなりの朝鮮族住民がおり,これらの間でも話されている。共通語は半島中部の方言(京畿・黄海・江原・忠清諸道)を基礎に発達したもので,半島内部ではほかに西部(平安道),北部(咸鏡道),南部(慶尚・全羅両道)と4方言に大別され,南の離島済州道方言と対置され,全体としては5方言圏となる。
文法構造はアルタイ諸語や日本語によく似ており,アルタイ諸語との親族関係を主張するアルタイ語説が有力で,日本語との同系説も根強く,両者を含めたアルタイ語族説も主張されている。これらの諸言語は構造上の類似に比べて,借用の疑いの余地のない共通の基礎語彙が乏しい点に問題があり,厳密な意味での親族関係が立証されているわけではない。
形態面では接尾辞の接合による膠着語(こうちやくご)的構成が特徴で,形態範疇としての性・数・格はなく,人称とも無関係である。形態構造や語順といわれる統辞構造など文法現象は日本語にきわめて類似するが,音韻面の構造にはかなりの違いが見られる。
子音では,破裂音,破擦音が無気[b,d,g,ǰ],有気[p,t,k,č],喉頭化[濃音:p`,t`,k`,č‘]の対立による3系列の体系をなす点が特色で,摩擦音にも関連した対立[s:s`]がある。無気音は語頭で無声音,有声音の間では有声音である。流音は1個だけで母音間で[r],音節末で[l]となる。他に[h]と鼻音3個[m,n,ŋ]があるが,流音と[ŋ]は語頭には現れない。音節は開音節・閉音節ともに豊富であるが,音節末子音は[b,d,g,m,n,ŋ,l]の7個に限られ,破裂部のない内破音となる。語頭と語末には子音1個しか立たないが,母音間には子音2個が続きうる。形態素のつなぎめには同化などによる子音の交替がみられる。母音は前舌母音[i,e,ɛ],後舌母音[u,o,ɔ,a],中舌母音[,ə]があるが,母音[ə]は特に若い層で失われる傾向にあるようである。
文の構造は日本語にきわめて類似し,主語は必ずしも必要でなく述語が中心となって文を構成する。用言は単独で述語となるが,体言は繫辞(けいじ)と結合して述語となりうる。修飾語は被修飾語の前に位置し,述語は先行する目的語や補語を受けて最後に位置し文を結ぶ。体言は不変化で接尾する助辞によって文法的関係を示す。用言や繫辞が述語となって従属節や対立節を導き活用形によって他の成分とのかかわりを表し,これらが重なり合って複雑な文を構成する。用言は動詞と形容詞に分かれ,接辞や語尾の交替による活用を行うが,繫辞を含めた3者の活用体系にはほとんど違いがない。活用形は,語幹のあとに尊敬表現(-si-)や時制表現(過去-ɔš`-,予測判断-ges`-)の接辞がこの順に現れ得,語尾があとに接合する。動詞は特定の語尾のみ現在を表す接辞を必要とするが,その他の場合には現在を表す接辞は現れない。
叙述,疑問,命令などの語尾の中に丁寧表現を表す語尾があって聞き手に対する敬意を示す。また,丁寧表現の助辞があって活用形とも結合して用いられ,場面に応じて聞き手に対する敬意を細かく表現する。敬意表現の基準をなすのは年齢の上下関係で,身内と他人の区別なく目上に対して用い,目下の者には用いない。活用体系の中に敬意表現が位置を占めるのは,日本語と共通の特色である。体言における敬意表現は語彙的で,体系的な現象は見いだされない。代名詞は一人称,二人称に基本的な形式があり,一人称には謙譲を表すものがある。二人称は多数の形式があって聞き手との関係で使い分けるが,目上に対しては使用を避ける傾向がある。また連体詞に事物を指示する形式があって,指示代名詞の役割をも担い,近・中・遠を区別するが,同様の指示機能をもつ副詞や用言,疑問を表す形式を合わせて日本語のコ・ソ・ア・ドに似た体系がみられる。
中国文化の影響を強く受けてきたため,古くから漢字を受け入れ多量の漢字語が用いられる。漢字語には中国の古典に由来する文化的教養語のほか,独自につくられたもの,近代以後に日本から輸入されたものもある。独特の漢字音によって読まれるが,近代的学問や技術における術語を含めて理知的・抽象的な概念語彙が多い。固有の語彙は動作や感覚に密着した把握を示す語彙が多く,これらの違いを具体的に表現し分ける。なかでも擬態語・擬音語はきわめて豊富であり,母音や子音の交替によって微妙な感覚的差異を表現する。
さかのぼりうる最古の言語は新羅の言語である。古代の朝鮮半島には多くの民族が居住していたが,4世紀ころ南東部で辰韓十二国の中から斯盧(しろ)が発展して統一し,新羅を建国した。以後7世紀に至る半島統一の過程で南部の他の韓族や中部以北の高句麗族などの言語を同化しつつ朝鮮語が成立したと考えられる。10世紀に高麗が建国して都を中部の開城に定め,中部方言を基礎とする共通語発展の基盤が固まり,14世紀末の朝鮮王朝(李朝)建国により都は現在のソウルの地に移ったが,この態勢は引きつがれた。新羅・高麗時代の言語は漢字の複雑な用字法(吏読(りとう)文字)で記録され,断片的なものが伝わるだけで全体像の把握は困難であるが,15世紀中葉に李朝第4代の国王世宗が〈訓民正音〉を公布し,今日ハングルと呼ばれる国字が制定されて朝鮮語を細部まで表現することが可能となり,仏典や中国の古典の翻訳が盛んに行われた。当時の朝鮮語には単母音7個があって,陽母音[a]と[o],陰母音[ə,,u]の対立による母音調和が行われ,語尾や助辞にも及んでおり,母音[i]は中性母音であった。語頭には子音群が数種あり,語末には[s]を加えた8子音が立ちえた。母音間に子音[z]があったが現代語への変化の中で消失し,単母音[ɐ]も済州道方言以外では消失し,二重母音は単母音へ,語頭の子音群は喉頭化音へと変化した。また傍点による高さアクセントの表記がみられるが,今日では南部,北部の方言の一部にアクセントが残るだけである。文法面では,用言語幹に接合する謙譲表現の接辞があり,これら二次的語幹を形成する接辞が独特の体系をなしていたが,現代語では語尾の一部に化石化して残るのみとなり,代わって時制表現の接辞の新しい体系が発達してくる点に特色がみられる。
→ハングル
1894年の甲午改革で〈諺文(おんもん)〉と呼んできた国字を〈国文〉あるいは〈国漢文(混用)〉として公用文に採用したが,まもなく日本統治時代を迎え(1910),解放(1945)後の政策は国字専用をめぐって展開する。問題点は,分ち書きなどを含む綴字法の制定,専門用語や一般語彙の選別査定などに集約される。その出発点は朝鮮語学会(〈朝鮮語学会事件〉の項を参照)の〈ハングル綴字法統一案〉(1933)と〈査定した朝鮮語標準語集〉(1936)であるが,独立後は流入した日本語の排除と漢字語の整理に伴う新しい語彙の査定が課題となって作業が積み重ねられた。韓国では1948年〈ハングル専用に関する法律〉を制定し公用文での国字専用を規定したが,漢字の補記併用が認められ,実際には漢字制限の方向をとることになった。政策は政府関係書類や教育課程への施策の形をとり,1970年から漢字教育を一時廃止したこともあるが,出版界の対応は新聞協会制定(1967)の常用漢字2000字による制限などにとどまり,まもなく漢字教育を復活した。1975年以後は〈教育用基礎漢字〉1800字によっている。語彙については朝鮮語学会の草稿(1942)を引きついで刊行したハングル学会編《朝鮮語大辞典》(1947-57)とその後の部分改訂に準拠しているが,1970年から文教部(文部省)の下で綴字法改定と語彙の再査定の作業にかかり,その成果を79年に試案として発表した。この間に専門用語制定作業も行われ,1960年代末ころまでに分野別用語集が順次刊行されている。
朝鮮民主主義人民共和国では1948年に〈新綴字法〉を制定して語頭に[r]を表記するなど独自の方向を打ち出し,49年から出版物での漢字使用を廃して国字専用を実施した。綴字法は54年にも改訂したが,現在は66年制定の《朝鮮語規範集》に依拠している。専門用語の制定や語彙整理の成果は1955年以降,刊行された辞典に収録する形で公布されてきたようであるが,最近の基準となるのは《朝鮮文化語辞典》(1973)である。
執筆者:大江 孝男
日本における朝鮮語研究の歴史は,古くは上代にまでさかのぼる。すでに《日本書紀》に朝鮮の地名や人名が仮名つきで登場してくることが知られている。その後も文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)を契機として,対馬を中心に朝鮮語研究は積極的に続けられてきた。江戸時代には両国の関係を修復しようとする動きの強まるなかで新井白石,雨森(あめのもり)芳洲らの碩学が,また明治以降には前間恭作,鮎貝房之進,小倉進平,金沢庄三郎などの研究者も輩出し,雨森芳洲の編著として知られる《全一道人》《交隣須知》や《日韓両国語同系論》(金沢庄三郎,1910),小倉進平の《朝鮮語学史》(1940)など,多くの成果を残してきた。しかしこれらの研究は一部の学者たちによって進められてきたもので,その影響が一般の朝鮮語学習にも及びはじめるのは,明治も後期を迎えるころからである。日朝修好条規締結(1876)以後の朝鮮への日本の進出は,日本人の朝鮮語修得者の増加を要求した。東京外国語学校(東京外国語大学の前身)に朝鮮語学科が設置され(1880),専門的な朝鮮語教育に力が注がれる一方,数こそ多くはなかったが,国や一部の県からの派遣留学生の中から,すぐれた力をそなえた通訳官が育成されて,日本人用の朝鮮語学習書もつぎつぎに刊行された。もちろんこれらの学習書の中には,場あたり的な会話練習書や,《兵要朝鮮語》(1894)のような軍用テキストも含まれていたが,反面《韓語通話》(1894),《韓語大成》(1905),《韓語文典》(1909)など,本格的な学習書と評価されたものも現れた。
しかし日韓併合(1910)がこのような状況を一変させることとなった。併合の翌年8月に公布された朝鮮教育令が,朝鮮人児童・生徒への〈国語〉(日本語)普及を基本にすえたことによって,朝鮮語は日本語にその位置をとってかわられ,外国語なみの扱いを受けることとなる。そしてわずかに残されていた朝鮮語の時間も,日中戦争後の皇民化政策のもとで1938年の第3次教育令によって〈随意課目〉と指定され,ついに完全に形骸化してしまう。朝鮮語の学習書の発行はその後も続いたが,朝鮮に移住する日本人に用いられることは少なくなり,朝鮮人の日本語学習にしきりに利用されたという。その一方で朝鮮総督府は手当を支給して官吏に朝鮮語学習を奨励し,統治政策の徹底をはかったのである。現在日本語の中の外来語として顔を出す朝鮮語は,チョンガー(総角--朝鮮の結婚前の成人男子の髪型。転じて独身の意),ヨボ(元来,ごく親しい者への呼びかけ),アイゴー(感動詞),チマ,チョゴリ,キムチ,キーセン等々で,その歴史的なかかわりの深さにもかかわらずごく少ない。このことは,日本における朝鮮語が,とりわけ〈併合〉以後,きわめてゆがんだ位置に置かれてきたことの,反映の一つといえよう。そしてこのことと対照的に,おそらく数百の日本語や,日本語をそのまま朝鮮語読みにして取り入れたことばが,今なお朝鮮の地に生きつづけているという事実を,見すごしにすることはできないだろう。
執筆者:梶井 陟
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
朝鮮半島とその沿岸の諸島および済州島、鬱陵(うつりょう)島を中心とし、さらに中国東北の南部などで話されている言語。話し手の数は、韓国(大韓民国)が4808万人余(2004推計)、北朝鮮が2361万人(2004国連推計)で、中国では吉林(きつりん/チーリン)、黒竜江(こくりゅうこう/ヘイロンチヤン)、遼寧(りょうねい/リヤオニン)の各省などに192万人の朝鮮族がいる。日本にも2005年(平成17)10月現在60万人弱が居住するが、これらのなかにはその母語を話せない二世、三世も多いといわれる。とにかく7000万人以上に及ぶ話し手をもつ世界でも有力な言語である。
[梅田博之]
現在、朝鮮半島は政治的に南北に分断され、それぞれの国語である朝鮮語も、韓国ではハングゴ(韓国語)、北朝鮮ではチョソノ(朝鮮語)と呼び方が異なる。この両者は1945年以来の分断の結果、異なる点が少なくないが、言語的には本来同一のものであるので、本項では「朝鮮語」という名称で、この民族固有の言語をさすこととする。標準語は韓国はソウル、北朝鮮はピョンヤン(平壌)のことばとしている。方言は大きく西北方言(平安道)、東北方言(咸鏡(かんきょう)道永興以北)、西南方言(全羅道、楸子(しゅうし)島)、東南方言(慶尚道)、中部方言(上の諸方言で囲まれた地域)、済州島方言の六つに分類される。
[梅田博之]
ソウルのことばを基礎とする標準的な言語について、構造上の特徴を述べる。
[梅田博之]
音節構造は開音節のほか閉音節もあり、音節末子音がモーラ(拍)をなさない。閉音節構造を有しかつ多音節語形を許すから、単語の形は日本語よりかなり複雑である。しかし、音節末にたちうる子音は七つに限られ、子音同化によって語中の子音連続にかなりの制限があり、語尾や助詞の頭位にたつ子音も限定されているなど、語形の複雑化に制約を課する傾向があり、かつ固有の基礎語彙はもともと単純な形をもっている。音節を構成する個々の音素も日本語より種類が多い。母音音素は九つで、前舌と非前舌、非前舌に円唇と非円唇の対立があり、そのすべてについて閉(i、ɯ、u)、非閉非開(e、ə、o)、開(ε、a、ɔ)の区別がある。ただし若い世代は、非前舌、非円唇、非閉非開母音(ə)を有せず、また前舌の非閉非開母音(e)と開母音(ε)の区別があいまいである。半母音はjとwの二つである。母音に関して注目すべき現象としてaとɔ、oとuがそれぞれ対をなし、音象徴語や色彩形容詞などでその交替がある種の語義の分化を示す機能を果たしている。子音音素に関してまず注目されるのは、破裂音、破擦音に平音・激音・濃音とよばれる三つの音の対立があり、摩擦音にも濃音があることである。平音は、語頭では弱い無声帯気音、有声音間では完全な有声音、激音は語頭・語中を問わず強い無声帯気音、濃音は語頭・語中を問わずほとんど完全な無声無気音である。この3種の音の違いも音象徴語などの語義の分化に利用される。その他の特徴としては、hが語中で弱まること、r音素が音節頭位ではr(ただし外来語を除き語頭にたたない)、音節末位でlで発音されること、ŋが語頭にたたないこと、m、nが語頭で破裂的になることがあること、音節末で発音される音はp、t、k、m、n、ŋ、lの七つだけで、いずれも内破音であることなどがある。
[梅田博之]
文法的枠組みは日本語とだいたい同じで、述語を中心にしてそれが支配する一つ以上の名詞句によって文が構成され、名詞句は文における述語との関係に従って種々の助詞を伴う。名詞句は、名詞一つの場合、指示代名詞や人称代名詞の所属形が前接する場合、別の名詞が直接(所属関係)または連結助詞を介して(並列関係)前接する場合、一つの文の述語が連体形語尾をとり連体修飾節として名詞の前に埋め込まれる場合などがある。これらの名詞句に格助詞がついて主節、目的節がつくられ、これに提題や付加などの強めの助詞もつきうる。また、副助詞がつくことによって副詞句となりうる。興味深いことは、日本語のガとハにあたる助詞の区別があるが、述部に疑問詞を含む質問文でもガにあたる助詞を使うなど、微細な点で用法が異なる。指示詞の体系も日本語のコ、ソ、アと同じくi、kɯ、čɔの三段階でいろいろな派生形をもつ点も並行的だが、iは話し手の領域、kɯは聞き手の領域、čɔはそれ以外を指示し、文脈指示ではkɯのみが用いられる点で日本語とは用法が異なる。
述部になりうるものに動詞、形容詞、存在詞、指定詞があるが、これらは語尾のとり方に若干の差異があるだけで、内部構造は基本的に共通であるので、一括して述べると、その基本的な構造は、語幹に接辞と語尾がついて成立するが、これにさらに補助動詞や助動詞連語(形式体言とある種の用言からなる連語形式)が続く構成のものもある。
概括的にいって、テンス(時制)は接辞と語尾(連体形)で、アスペクト(相)は補助動詞で、モダリティー(叙法)は語尾や助動詞連語によって示される。ボイス(態)は接辞によって示されるが、きわめて限られた語幹にしかつかないので、語幹自体の内部派生として扱ったほうがよい。テンスは「現在」と「過去」「大過去」を区別する。「現在」が、未来において確実に行われる行動のほかに、現に行われている行動をも表し、「過去」のほかに「大過去」がある点で日本語と異なる。アスペクトに関して興味深いことは、「~テイル」にあたる表現形式が、行動の過程と行動が行われた結果とを区別する点である。日本語と同様に文法手段として敬語があり、素材敬語は接辞で、対者敬語は語尾で示されるが、その用法は基本的に絶対敬語的である。また、対者敬語は身分規定に基づく四段階と親疎関係による二段階のシステムが共存している。
[梅田博之]
語彙の構成は固有語、漢語、中国語以外の外来語に分類できるが、漢語の占める比重はきわめて大きい。漢語には中国古典語の語彙のほか、俗語も取り入れており、近代的諸概念を表す日本製漢語や漢字で書かれた日本語を音読し、漢語の形で取り入れたものもある。また音象徴語が豊富に存在することも特徴の一つである。
[梅田博之]
時代区分は、朝鮮語の母胎となった新羅(しらぎ)の時代を古代語とし、高麗(こうらい)への政権交替とともに開城で新しい中央語が形成され、今日に至るが、10世紀から16世紀までの7世紀にわたる中世語(高麗朝を前期、朝鮮王朝〈李氏(りし)朝鮮〉初期の200年を後期とする)、壬辰(じんしん)・丁酉(ていゆう)の倭乱(わらん)(文禄・慶長の役)を境に17世紀初めから19世紀末までの3世紀間の近世語、そして現代語に分けられる。これとは別に、朝鮮王朝初期の文字(訓民正音)創製(1443)より壬辰倭乱までの時期を中期語とよぶこともある。古代語は新羅の古歌謡である郷歌など、前期中世語は「雞林(けいりん)類事」などきわめて限られた資料しかないが、文字創製以後は、この新製文字で書かれた豊富な文献がある。中期語には、現代語にはないɐ、z、vなどの音素があり、sp-,st-,pt-,psk-,pst-のような複頭子音があった。また、語尾や助詞にまで及ぶ母音調和やアクセントの音韻的対立があった。文法も、時称体系が、基本、強勢、現在、未来、回想の五つを区別し、謙譲法接辞が存在するなど、現代語と異なる点が少なくない。
朝鮮語の系統はまだ不明である。日本語やアルタイ諸語などとの親縁関係がもっとも多く論じられ、またその蓋然(がいぜん)性は高いが、言語学的には未証明である。
[梅田博之]
固有の文字は現在、韓国ではハングル、北朝鮮ではチョソンクルとよんでいる。北朝鮮ではこの文字のみを用いて横書きにする。韓国では漢字も混用し、縦書きも横書きもあるが、庶民の文字生活はハングル専用が趨勢(すうせい)である。もともと小説などの文学作品は以前よりハングルのみで書かれている。
[梅田博之]
『李崇寧監修、朴成媛編著『標準韓国語』全2巻(1972、74・高麗書林)』▽『梅田博之著『NHKハングル入門』(1985・日本放送出版協会)』
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…またこの段階では直接兵力の補充というよりも,皇民化の推進力としてのねらいが大きかった。また志願兵制度と表裏一体のものとして,〈兵員資源〉の裾野を広げるために,3月には第3次朝鮮教育令を公布し,〈内鮮共学〉を強調,日本と同じ教科書を使い,朝鮮語は正課からなくなり日本語の常用が強要された。生徒は相互に監視させられ,朝鮮語を使った友人を摘発するのが日課となった。…
…これに対しベトナム語は,高/kɑu/をcao,考/k‘ɑu/をkhao,波/pɑ/baに対し坡/p‘ɑ/pha(fa)のごとく,その漢字音に区別を反映させている。朝鮮語も有気・無気の弁別があるが,高・考を共にko,波・坡をp‘aと区別しない。これは朝鮮漢字音の成立期には有気・無気の弁別がまだなかったためかと考えられている。…
…これらの異体字は政治的に重要な個所(王名,始祖名,官職名,官位名,貴族の名前等)に集中しており,政治的な自立を主張したものとみられる。また,文体も朝鮮語風に,主語・述語の順に記述することなどもみられるが,王朝側が文体を指定するなど,言語,文章の統一をはかる政策をとっていた。こうして朝鮮の文字文化は三国抗争期に始まり,地方勢力との結合をはかるために積極的に文字文化が利用された。…
…だが奪格形では,melota‐jpə〈うさぎから〉のように奪格語尾‐jpəの母音/ə/が語幹母音を強に変える。 中期朝鮮語においても母音調和の支配が認められる。sarɐm‐ɐr〈人を〉,gəbub‐ɯr〈亀を〉のように陽の母音/a,o,ɐ/と陰の母音/ə,u,ɯ/の区別があり,対格語尾に陽の語尾‐ɐrと陰の語尾‐ɯrの2種が語幹の母音によって使い分けされている。…
※「朝鮮語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
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