リスボン(その他表記)Lisbon

翻訳|Lisbon

デジタル大辞泉 「リスボン」の意味・読み・例文・類語

リスボン(Lisbon)

ポルトガル共和国の首都。大西洋に注ぐテジョ川河口の西岸にある港湾都市。ローマ時代から知られ、13世紀以来首都となり、地中海北海との貿易の中継地として発展。15、6世紀にはインド航路が開かれて香料貿易で繁栄した。サンジョルジェ城・馬車博物館などがある。ポルトガル語名リズボア。人口、行政区49万(2008)。

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精選版 日本国語大辞典 「リスボン」の意味・読み・例文・類語

リスボン

  1. ( Lisbon ) ポルトガルの首都。イベリア半島の大西洋岸、テージョ(タホ)川の河口右岸にある。一三世紀以来の首都で、一五、六世紀には植民地貿易で繁栄。ポルトガル語名リジュボア。

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改訂新版 世界大百科事典 「リスボン」の意味・わかりやすい解説

リスボン
Lisbon

ポルトガルの首都であり,同国最大の都市。人口52万4640(2005)。ポルトガル語ではリズボアLisboa。イベリア半島のほぼ西端,テージョ川の河口から上流12kmの右岸に位置する。狭い河口に守られた港は自然の良港で,ヨーロッパ有数の中継港。温和な気候に恵まれ,年平均気温は16.8℃,年降水量761mm。雨は冬に集中し夏は乾燥する。〈七つの丘の都〉と呼ばれる同市の地形は起伏が激しく,市街地には急な坂道が多い。官庁街に囲まれたテージョ河畔のユメルシオ広場(テレイロ・ド・パソ)から北のロシオ広場に至る東西300m,南北500mの地区はバイシャと呼ばれ,1755年の震災後再建された碁盤割りの整然とした市街地で,市内随一の商業地区。銀行,貴金属商が集中している。バイシャの東側にはサン・ジョルジ城を頂く丘があり,テージョ川に向かって下る北斜面には市内で最も古いアルファマ地区がある。迷路のように入り組んだ細い急な坂道の両側には家屋が密集し,その町並みは4世紀以上に及ぶイスラム支配の影響を強く残している。バイシャの西側の丘を登るカルモ通り,ガレト通りからカモンイス広場に至る界隈はシアードと呼ばれ,主要な書店,百貨店,食品店などの建ち並ぶ商業地区として有名。カモンイス広場の北側に広がるバイロ・アルトでは印刷,家具製造などの軽工業が盛ん。16世紀に貴族の屋敷町として開発され,道と道とが直交する当時としては画期的な町並みを残す。今日ではアルファマとともに同国特有の歌謡ファドを聴かせる観光客相手のレストランが多い地区である。ロシオ広場の北西に隣接するレスタウラドーレス広場からは,北北西の方向に緩やかな登りで幅90m,全長1.5kmのリベルダーデ大通りが延びている。大通りには車道のほか2本の遊歩道が通っている。街路樹やベンチを備え,同国独特の細かなモザイクが一面に施された遊歩道は美しい散歩道として市民に親しまれている。大通りの終点ポンバル広場の北には広大なエドゥアルド7世公園がある。

 市内の交通網はロシオ広場を中心に,バス,電車,地下鉄などにより整備されている。中心街のケーブルカーやエレベーターも重要な公共交通機関。近郊の観光地シントラ,カスカイスとは鉄道で結ばれる。リスボンは全国の鉄道網の起点で,サンタ・アポロニア駅からは北部へ,テレイロ・ド・パソ駅からは対岸のバレイロ駅(渡し船で連絡)を経て南部へ,それぞれ結ばれている。同市を中心とする道路網も整っており,1966年テージョ川をまたぐヨーロッパ最長の橋(2278m)が開通して以来,南部地域との交通は飛躍的に改善された。しかし渡し船も依然重要な市民の足である。中心街の北わずか6kmに空港もあり,内外の主要都市と空路で結ばれている。港は年間入港船隻数4421,総重量335万トン(1979)の同国一の規模をもつ。河口近くのアルジェースから30km上流のサカベンに至る川岸沿いに立地する,同市の工業地帯と密接な関係を保ちつつ発展している。工業都市としても同国随一の規模を有し,とくに石油精製,造船,化学,製鉄などの重工業が行われる。近年は工業地帯がさらに上流の地域および対岸地域に拡大する傾向がみられる。

リスボンはギリシア人あるいはフェニキア人の植民市を起源とするともいわれるが,定かではない。前3世紀末,ローマ帝国の版図に編入された頃,当時の呼称オリシポOlissipoあるいはウリュシポUlysippoに代わり,フェリキタス・ユリアFelicitas Juliaと名づけられた。今日の市名リズボアを生んだオリシポの起源については,同市の建設者をウリセスUlisses(オデュッセウスのポルトガル語形)とする伝説が好んで引用されるが,その他の諸説と同様に確証はない。5世紀初頭より西ゴート人の支配下に入り,8世紀初めから400年以上イスラム教徒の統治地域の西方の拠点都市として繁栄。1147年アフォンソ1世は十字軍の援助を得てリスボンを包囲し,3ヵ月後に同市はキリスト教徒の手に落ちた。13世紀中ごろ国土回復戦争を完了した王国の首都がコインブラから同市に移され,以来その政治的役割の高まりと並行して商業都市リスボンは目ざましい発展を遂げることとなる。

 15世紀には同港を拠点とするセウタ攻略(1415)により大航海時代の幕が開き,同市は海外進出の一大基地となる。バスコ・ダ・ガマのインド航路発見(1497-98),カブラルのブラジル発見(1500)も同市を拠点とした。マヌエル1世(在位1495-1521)の頃,港は船でにぎわい,同市は東洋の香料を求めてヨーロッパ中の商人が集まる国際貿易都市として繁栄を極めた。1755年の大地震およびそれに続く津波,大火でリスボンは壊滅的災害をうける。時の宰相ポンバル侯はこれを機に市の大改造に乗り出し,リスボンは近代的都市に生まれ変わった。当時整備されたバイシャ周辺に〈ポンバル様式〉の整然とした建物がみられる。19世紀末以来とくに都市化の著しい北部,西部には現代的な高層建築が多くみられる。リスボンは1755年の大地震以前にも少なくとも2回地震に見舞われており,崩壊,再建を繰り返している同市には史跡都市の趣はないが,注目すべき歴史的建造物も多い。西ゴート人により築造されたサン・ジョルジ城(5世紀),大地震後再建された大聖堂(12世紀),外面が一面に四角錐で覆われた特異な様相をもつカーザ・ドス・ビコスの館(16世紀),マヌエル様式の典型であるベレンの塔およびジェロニモ修道院(16世紀)などが有名。河畔に立つ大航海記念碑(1960)も名所の一つである。博物館,美術館も多く,国立古美術館,馬車博物館,考古学・民族博物館,海軍博物館などがその代表で,トーレ・ド・トンボ国立公文書館は国内随一の収蔵量を誇っている。20世紀初頭より大学も創設され,現在3大学を数え,同国の文教の中心地としても重要な役割を果たしている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リスボン」の意味・わかりやすい解説

リスボン
りすぼん
Lisbon

ポルトガルの首都。テージョ川(タホ川)下流の三角江右岸にある。人口55万6797(2001)。同国最大の都市である。ポルトガル語ではリズボアLisboaといい、リスボンは英語名。8世紀に北アフリカから北上したイスラム勢力がLuzbonaとかUlixboneなど、現在と似た呼称を用いたようである。気候は温暖で、平均気温は8月23.0℃、1月11.2℃、年降水量706.1ミリメートルである。

[田辺 裕・柴田匡平]

市街

山の手のアルトAlto地区、中心部の低地であるバイシャBaixa地区の二つに大きく分けられる。両地区は公共のエレベーターやケーブルカーで結ばれている。ローマ同様七つの丘があるというのがリスボン市民の自慢だが、北西に延びる現市街には12以上の丘がある。テージョ川対岸には高さ109メートルのキリスト像(1959)が望まれる。1966年に完成した西ヨーロッパ最長の吊橋(つりばし)「4月25日橋」(旧サラザール橋)は初めて対岸との間をつなぎ、地域開発に資することとなった。1755年の大地震ののち、時の宰相ポンバル侯の采配(さいはい)で復興と再開発が積極的に推進され、現在の中心部の街路が整備された。レスタウラドーレス広場(1640年の独立回復を記念する広場)から北西に向かって、ポンバル侯広場まで延びる幅90メートル、長さ1.5キロメートルの並木通りリベルダーデ通りはリスボンの中心街路で、1880年の開通である。

 バイシャには文化、商業、行政、交通の各施設が集中する。とくににぎわうのはカフェーに囲まれ、波紋模様のタイルが美しいロシオ広場から官庁街にあるコメルシオ広場にかけてである。ロシオ広場の東の丘陵上にサン・ジョルジェ城がそびえ、その東側のアルファーマ地区は1755年の大地震の災厄を免れ、入り組んだ街路と古い建物の残る雑踏の巷(ちまた)となっている。リスボンの主要街路は緑が多く、随所の広場で歴代君主のオベリスクがみられる。またイギリスとの歴史的な結び付きを反映する施設名が多く、サン・ジョルジェ城はイギリスの守護聖人聖ジョージにちなみ、リベルダーデ通り北西突き当たりにあるエドワルド7世公園は同国王のポルトガル訪問を記念したものである。西端のベレン地区には、テージョ川の河畔にマヌエル様式のベレンの塔(1515)が建ち、その北東には16世紀マヌエル様式のジェロニモス修道院がある。この両建築物は1983年に世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)として登録されている。ベレン地区にはほかに国立古美術館、グルベンキャン美術館、海洋博物館、考古学・人類学博物館など、文化施設も多い。リスボン大学(1911創立)、工科大学、カトリック大学など、五つの総合大学がある。

[田辺 裕・柴田匡平]

産業・交通

おもな経済活動は観光と商業であり、とくにリスボン港は貨物の集散地として重要な役割を果たしている。在来の地場産業としてはせっけん、軍用品製造、製鉄などがあったが、これにガラス製造、電子機器、マーガリン製造などが加わってきた。大規模な工業開発が促進されているのはテージョ川対岸部の工業地帯で、セメント工場、穀物サイロ、製鉄コンビナートなどが建ち並んでいる。ただし近年の政治的・経済的停滞のためにその発展はかならずしも順調ではない。空港は北約7キロメートルのポルテラ・デ・サカベーム空港。国鉄の駅は市内に四つあり、国内各地やスペイン、フランスへの国際列車も発着する。市内の交通は地下鉄、バス、市電がある。都市問題としては住宅難があげられ、住宅建設が市の外郭部で進められている。

[田辺 裕・柴田匡平]

歴史

すでにローマ時代からオリシポOlisipoの名で知られており、この町にきたユリウス・カエサルからフェリキタス・ユリアFelicitas Juliaとよばれた。西ゴート人の支配を経て、716年からイスラムの支配下に入った。1143年カスティーリャから独立したポルトガルの国王アフォンソ1世Afonso Ⅰ(1109?―1185、在位1139~1185)は、おりからドーロ川河口に入った北方十字軍船団の支援を得て、3か月のリスボン包囲ののち、1147年10月24日これを解放した。1249年アフォンソ3世Afonso Ⅲ(1210―1279、在位1248~1279)のアルガルベ征服によってポルトガルのレコンキスタ(国土回復戦争)が完了すると、南部の重要性が高まり、13世紀中葉からリスボンはコインブラにかわって王国の首都となった。以後、リスボンは地中海と北海を結ぶ貿易路の中継地として発展し、1383~85年王国独立の危機に際しては、リスボンのブルジョアジーが独立を守るために決定的な役割を果たした。リスボン市政は、24人のギルド代表からなる24人会によって行われた。1498年バスコ・ダ・ガマがインド航路発見に成功すると、リスボンは東洋の香料の荷揚げ港として空前の繁栄をみた。それまでサン・ジョルジェの山城にこもっていた国王は、テージョ川の岸辺に王宮を構え、さらにジェロニモス修道院、ベレンの塔などマヌエル様式を代表する建造物がつくられた。当時リスボンの人口は約7万と見積もられ、ヨーロッパ有数の大都市に成長した。1755年11月1日大震災にみまわれ、市街地の大半は廃墟(はいきょ)と化した。時の宰相ポンバル侯は市街の抜本的な改造を図り、テージョ川に面したテレイロ・ド・パソを中心に町を碁盤目状に区画し、家並みもいわゆるポンバル様式に統一したため、リスボンは啓蒙(けいもう)思想を体現した近代都市として生まれ変わった。しかし、15世紀以来、造船工業のほかに際だった工業はなく、本質的には商業都市として今日に至っている。

[金七紀男]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リスボン」の意味・わかりやすい解説

リスボン
Lisbon

ポルトガルの首都。リスボン県の県都を兼ねる。ポルトガル語でリシュボアまたはリズボア Lisboa (リスボンは英語) 。港湾都市で,イベリア半島の最西端,テージョ川の右岸に位置する。起源は古代フェニキアの植民市といわれ,ローマ帝国,ムーア人による支配の時代を経て,1147年アフォンソ1世の治下に入り,1256年アフォンソ3世によりポルトガルの首都と定められた。大航海時代以後はインド,ブラジル航路の玄関口として香料貿易などにより発展。 1755年の大地震では市街の大部分が破壊されたが,その後新市街を建設。テージョ川の三角江が自然の良港となり,ヨーロッパの主要都市や国内の後背地と鉄道で結ばれ,重要な交易の中心地となっている。政治,経済の中心地で,製鉄,自動車,造船,繊維,製紙,製油,たばこなどの工業が行なわれる。おもな輸出品はオリーブ油,ワイン,果実,コルク,木材,イワシの缶詰。東部のアルファマ地区にはイスラム時代のサンジョルジェ城があり,西部のベレンの塔ジェロニモス修道院は,1983年世界遺産の文化遺産に登録。ほかに 1290年創立の大学,馬車の博物館,宮殿などがある。 1966年にテージョ川を渡る長大な吊橋サラザール橋 (2.3km) が完成し,都市は左岸にも膨張して大都市圏を形成している。人口 54万5245(2011)。

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百科事典マイペディア 「リスボン」の意味・わかりやすい解説

リスボン

ポルトガル語ではリズボアLisboa。ポルトガルの首都。同国南西部,テージョ川河口の湾入部の北岸にある港市。近世以来植民地貿易で繁栄し,繊維,製紙,製油,タバコなどの工業が行われ,漁業の中心地でもある。政治,金融の諸機関が集中,イスラム支配時代のサン・ジョルジ城,大学(1911年創立),工科大学がある。西郊のベレンには16世紀の高塔がそびえ,バスコ・ダ・ガマを記念して建てられたゴシックのジェロニモス修道院がある(両者は1983年世界文化遺産に登録)。起源は古代フェニキアの植民市といわれ,ローマ時代はオリシポOlissipoと呼ばれた。西ゴート,イスラム支配下にも港湾都市として繁栄。1147年アフォンソ1世が奪回し,13世紀半ばアフォンソ3世の時にポルトガルの首都となった。大航海時代には香料貿易の独占で飛躍的に発展し,1755年の大地震後新市街が建設された。第2次大戦中は中立国の港として重要な役割を果たした。1966年テージョ川にサラザール橋が完成。54万7733人(2011)。
→関連項目ポルトガルリスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「リスボン」の解説

リスボン
Lisboa[ポルトガル],Lisbon[英]

ポルトガルの首都。テジョ川の河口に位置し良港を有し,古代から都市が建設される。1147年にアフォンソ1世によって攻略され,レコンキスタの進展とともに13世紀半ばから首都となる。大航海時代には東洋産物の中継地として繁栄。1755年のリスボン大地震で壊滅的被害をこうむったが,ポンバルの手によって復興。19~20世紀を通じ政治,経済,文化の中心として発展,拡大した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「リスボン」の解説

リスボン
Lisbon

ポルトガル西岸にある同国の首都
フェニキア人が植民市として建設したといわれ,711年アラブ人に占領されたが,1147年ポルトガルが奪回した。15〜16世紀の海外発展時代のアジア貿易の中心都市。

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世界大百科事典(旧版)内のリスボンの言及

【ポンバル】より

…ポルトガルの啓蒙専制政治家。リスボンの小貴族に生まれ,前半生はまったく無名であったが,1738年から49年までロンドン,ウィーンへ大使として赴任。50年ジョアン5世の後を継いだジョゼ1世によって登用された。…

※「リスボン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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