小網町一丁目横町(読み)こあみちよういつちようめよこちよう

日本歴史地名大系 「小網町一丁目横町」の解説

小網町一丁目横町
こあみちよういつちようめよこちよう

[現在地名]中央区日本橋小網町

思案しあん橋の東側、入堀(東堀留川)東岸の河岸通りに沿った南北に続く片側町。俗称を横店よこだなともいった。北と東は甚左衛門じんざえもん町、南は播磨姫路藩酒井氏中屋敷。安永三年小間附町鑑によれば小間三七間、うち京間三一間半・田舎間五間半、小網町一丁目と同様に国役を勤める。名主も一丁目と同じ。安政七年(一八六〇)の泰平町鑑では一番組組合持。面積七五六坪余(「寛保沽券図」中央区京橋図書館蔵)。明治五年(一八七二)以前に小網町仲こあみちようなか町と改め、さらに同四四年に小網仲町とした。小網稲荷は社伝によれば文正元年(一四六六)創建とされ、万福まんぷく院を結んだ恵心僧都が霊夢によって稲荷の像を刻み、一祠を建立して小網神社と称したなどという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む