万福寺(読み)まんぷくじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

万福寺
まんぷくじ

京都府宇治市にある黄檗宗大本山寛文1 (1661) 年隠元のために徳川家綱が宇治に建立した。明の風を模した寺域は特異なもので,山門,天王殿,仏殿法堂が一直線上に並び,それを中心として左右に諸堂が並んでいる。寺号黄檗山とし,代々中国から来た僧が住持し,元文5 (1740) 年第 14世龍統が日本人として最初の住職

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デジタル大辞泉の解説

まんぷく‐じ【万福寺】

京都府宇治市にある黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山。山号は、黄檗山。開創は寛文元年(1661)。開山は明僧隠元隆琦(いんげんりゅうき)。開基は徳川家綱。中国の黄檗山万福寺を模した明様式の伽藍(がらん)配置で、寺宝虎渓三笑図や一切経版木などを蔵す。また、普茶料理を伝えていることでも知られる。
島根県益田市にある時宗の寺。山号は、清滝山。もと安福寺と称する天台宗の寺。文中3=応安7年(1374)現在地に移転、現寺号となった。池泉回遊式の庭園は雪舟作と伝える。

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百科事典マイペディアの解説

万福寺【まんぷくじ】

京都府宇治市にある黄檗(おうばく)宗大本山。明僧隠元を開山として1661年草創,黄檗宗の本拠として栄えた。明の様式をとり入れ,三門,天王殿,仏殿,法堂が中心線に並び,左右に諸堂が並ぶ独特の配置(黄檗様)をもつ。方丈の障壁画をはじめ池大雅の作品が多く,塔頭(たっちゅう)の宝蔵院は鉄眼版大蔵経版木を所蔵。
→関連項目宇治[市]普茶料理

万福寺【まんぷくじ】

島根県益田(ますだ)市にある時宗の寺。1374年益田兼見(かねみ)が中須(なかす)にあった安福(あんぷく)寺を移して創建,菩提寺としたという。このとき建立された本堂,鎌倉期の絹本着色二河白道図は重要文化財雪舟(せっしゅう)作という庭園は国指定史跡名勝

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デジタル大辞泉プラスの解説

万福寺

島根県益田市東町にある寺院。時宗。山号は清滝山。本尊は本尊は阿弥陀如来。石見国中州浦(現在の益田市中須町付近)にあった天台宗の寺、安福寺が起源。1374年、現在地に移転し寺号を改めた。雪舟作と伝わる庭園は国の史跡・名勝、本堂は国の重要文化財に指定。

万福寺

宮崎県東諸県郡国富町にある寺院。宗派は天台宗。熊の襲来を知らせて吠えた犬をうるさいと殺してしまった彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)が、その犬と熊を弔った地と伝えられる。山号は犬熊山(けんゆうざん)(「いぬくまやま」とも)。

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世界大百科事典 第2版の解説

まんぷくじ【万福寺】

京都府宇治市にある黄檗(おうばく)宗の大本山。山号は黄檗山。開山は1654年(承応3)来日した明僧隠元隆琦(りゆうき)で61年(寛文1)に開創された。山号・寺名は隠元が来日する以前に住持した中国福建省福州府福清県にある黄檗山万福寺にちなむ。寺域は江戸幕府が後水尾天皇の生母中和門院(近衛前子)の別邸である大和田御殿を収公して与えたものであり,寺領は同じく近衛家領の五ヶ荘を収公し,63年そのうちの太和荘(大和田村)など計400石が下付されている。

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大辞林 第三版の解説

まんぷくじ【万福寺】

京都府宇治市にある黄檗おうばく宗の大本山。山号、黄檗山。1661年、明の帰化僧隠元の開創。中国の黄檗山万福寺にならった万福寺式伽藍がらん配置で有名。また、鉄眼てつげん開版の大蔵経の版木を蔵する。

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精選版 日本国語大辞典の解説

まんぷく‐じ【万福寺】

[一] 京都府宇治市にある黄檗(おうばく)宗の大本山。山号は黄檗山。寛文元年(一六六一)創建。開山は隠元隆琦。建築様式は明の黄檗山万福寺に模し、法式・風習すべて明制を取り入れている。
[二] 島根県益田市にある時宗の寺。山号は清龍山。もとは安福寺という天台宗の巨刹だったが、正和二年(一三一三)に呑海が改宗。応安七年(一三七四)七尾城主益田氏の菩提寺となって改称された。庭は雪舟作と伝えられ、国史跡・名勝に指定されている。

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世界大百科事典内の万福寺の言及

【黄檗宗】より

…京都府宇治市に所在する黄檗山万福寺を本山とする禅宗の一派。宗祖は1654年(承応3)に来日した明僧の隠元隆琦で,万福寺は61年(寛文1)に開創され,ここに禅浄一致の宗風をもつ明朝禅が伝えられて大きく発展した。…

【黄檗美術】より

…崇福寺の第一峰門(1644),大雄宝殿(1646)がその代表的遺構であり,渡来工人による明代の寺院建築の意匠,彩色が強い異国風を感じさせる。黄檗寺院はさらに僧隠元が,幕府の庇護のもと,宇治の万福寺を創建(1661)したことにより,京都にも伝わった。これはかなり和様化されているが,伽藍配置など隠元の故国の福州万福寺にならってつくられたものであり,総門から山門,天王殿,仏殿,法堂を中心線上に配し,鐘楼,鼓楼,伽藍堂,祖師堂,斎堂,禅堂,東西方丈を左右相対的に配列し回廊で結んでいる。…

【禅宗】より

…臨済禅の伝来は,そうした中国近代文明の持続的な日本への伝来とともにあり,これを集大成するのが,黄檗山の開創である。 黄檗宗は,中国の福州黄檗山万福寺の住持,隠元隆琦が,江戸幕府の帰依で宇治に万福寺を開いたのに始まる。隠元隆琦は,中国では臨済宗楊岐派に属し,日本でも臨済正宗を名のるが,鎌倉以来すでに日本に来ている臨済禅が,宋・元時代のそれを伝えて完全に日本化しているのに比して,近世中国の風俗習慣を伴う隠元の臨済禅は,日本仏教徒にあらためて中国仏教の現実を見せつけることとなる。…

【普茶料理】より

…そして,それ以上に〈巻煎(ケンチエン)〉〈八宝菜(パポウツアイ)〉などと片言の中国語で料理を呼び,榻(とう)に腰掛け,卓(しよく)の上の大皿から料理をめいめい皿に取り分けて会食することが,彼らのハイカラ趣味を満足させたようである。現在では京都宇治の万福寺その他の黄檗宗寺院のほか,料理店の中にも普茶料理を称する店がある。一般的な菜単(さいたん)(献立)は,澄汁(すめ)(ランの花などを浮かべたすまし汁),麻腐(まふ)(ゴマ豆腐),雲片(うんぺん)(野菜いためのあん掛け),冷杯(ロンペイ)(あえ物,浸し物の類),笋羮(しゆんかん)(野菜,乾物などの炊合せ),油(ゆじ)(野菜などのてんぷら),素汁(そじゆう)(みそ汁),醃菜(イエンツアイ)(香の物),飯子(ハンツー)(飯)といったものである。…

※「万福寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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