日本大百科全書(ニッポニカ) 「小野毛人墓誌」の意味・わかりやすい解説
小野毛人墓誌
おののえみしぼし
遣隋(けんずい)使として有名な小野妹子(いもこ)の子、毛人の墓誌。京都市左京区上高野(かみたかの)西明寺山(さいみょうじやま)の丘陵突端に掘られた土壙(どこう)内の箱式石棺の中から出土。墓誌は鋳銅製鍍金(ときん)、著しく縦に長い長方形の板(約59センチメートル)で、表裏に各1行48字の銘文を刻む。銘文により、毛人は天武(てんむ)朝に仕えて太政官兼刑部(ぎょうぶ)大卿に任ぜられたこと、またその墓が677年(天武天皇6)に営まれたことが知られる。ただし、この墓誌がこの年につくられたかどうか疑う向きが強く、文中の「飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)治天下天皇」という表記が過去の天皇をさすような表現であり、「大錦上(だいきんじょう)」「朝臣(あそみ)」も後の贈位、改姓に基づくとみられるなど、持統(じとう)朝以降の追納とする説が有力である。国宝。
[大脇 潔]