朝日日本歴史人物事典 「尺振八」の解説
尺振八
生年:天保10(1839)
幕末明治の英学者。江戸佐久間町(神田)生まれ。父は下総高岡藩医鈴木伯寿だが,尺氏の嗣となる。中浜万次郎に英語を学んだ。幕府の米,仏への遣外使節にも同行。明治政府時代には大蔵省翻訳局に出仕したが,明治8(1875)年に職を辞し,同3年東京本所に彼が創立していた英語塾共立学舎での教育に専念した。容貌清楚,音吐低静の美丈夫で義侠心に富んでいたという。島田三郎,田口卯吉は門下生。結核だったので遺品一切を焼却せよと遺言,Rまで進んでいた英語辞書の原稿も消滅した。須藤時一郎と共著の『傍訓英語韵礎』(1870)は英語発音の参考書。『斯氏教育論』(1880)は自由教育を説いたスペンサーの教育論の訳。<参考文献>清水智恵子「尺振八」(『学苑』10巻5号)
(加納孝代)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報