尾崎陞(読み)オザキ ススム

20世紀日本人名事典 「尾崎陞」の解説

尾崎 陞
オザキ ススム

昭和・平成期の社会運動家,弁護士 尾崎法律事務所長。



生年
明治37(1904)年7月31日

没年
平成6(1994)年4月8日

出生地
新潟県中頸城郡明治村(現・頸城村)

学歴〔年〕
早稲田大学法学部独法科〔昭和2年〕卒

主な受賞名〔年〕
東弁人権賞(第1回)〔昭和61年〕,下町人間庶民文化賞(第3回)〔昭和63年〕

経歴
昭和4年東京地裁判事となるが、7年共産党に入党して検挙され、辞任。懲役6年の実刑判決をうける。戦後、25年弁護士となり、32年自由法曹団に加入。日弁連人権擁護委員長などを歴任し、百里基地訴訟の弁護団長、市民平和訴訟の代理人などをつとめる。また免田事件など、再審裁判の前進に大きな成果をあげた。平成4年「湾岸戦争犯罪を裁く国際法廷」(ニューヨーク)の判事に選ばれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾崎陞」の解説

尾崎陞 おざき-すすむ

1904-1994 昭和後期-平成時代の弁護士。
明治37年7月31日生まれ。昭和4年東京地裁判事となり,7年共産党に入党。同年,司法官赤化事件で検挙され懲役6年。25年弁護士となり,自由法曹団幹事長,日弁連人権擁護委員長などをつとめる。免田事件の弁護団長。平成6年4月8日死去。89歳。新潟県出身。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「尾崎陞」の解説

尾崎 陞 (おざき すすむ)

生年月日:1904年7月31日
昭和時代;平成時代の社会運動家;弁護士。尾崎法律事務所長
1994年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android