尾母村(読み)うもむら

日本歴史地名大系 「尾母村」の解説

尾母村
うもむら

[現在地名]徳之島町尾母おも

亀津かむいじ村の南西に位置する。南西をほん川が流れ、河口部には本川ほんごう浜が広がる。浜の北側の台地上に弥生時代に相当する貝塚があり、また中腹斜面にはウモ墓とよばれる横穴式のトゥール墓(洞穴墓)がある。万暦年間(一五七三―一六二〇)琉球王国から任じられた大繁茂という祝女がシマ(村)を統治していたという。しぎや間切亀津のうちで、「三州御治世要覧」では東間切一二ヵ村のうちに「尾母村」とある。明和五年(一七六八)尾母村下の「卸口浦」に唐船一艘が漂着船尾が破損しているので秋徳あきちゆ湊で修理し、乗組員二六人は帰帆した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む