尾母村
うもむら
[現在地名]徳之島町尾母
亀津村の南西に位置する。南西を本川が流れ、河口部には本川浜が広がる。浜の北側の台地上に弥生時代に相当する貝塚があり、また中腹斜面にはウモ墓とよばれる横穴式のトゥール墓(洞穴墓)がある。万暦年間(一五七三―一六二〇)琉球王国から任じられた大繁茂という祝女がシマ(村)を統治していたという。東間切亀津
のうちで、「三州御治世要覧」では東間切一二ヵ村のうちに「尾母村」とある。明和五年(一七六八)尾母村下の「卸口浦」に唐船一艘が漂着、船尾が破損しているので秋徳湊で修理し、乗組員二六人は帰帆した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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