尾竹竹坡(読み)オダケ チクハ

20世紀日本人名事典 「尾竹竹坡」の解説

尾竹 竹坡
オダケ チクハ

明治〜昭和期の日本画家



生年
明治11(1878)年1月11日

没年
昭和11(1936)年6月2日

出生地
新潟県新潟市

本名
尾竹 染吉

主な受賞名〔年〕
文展2等〔明治43・44年〕

経歴
明治24年14歳の時兄・越堂を頼って富山へ移り売薬版画の下絵を書く。28年18歳で美術協会展に出品。29年弟・国観と共に上京、川端玉章に師事する。32年岡倉天心の日本美術院に参加。日本絵画協会・日本美術院連合絵画共進会などで受賞を重ね、36年内国勧業博覧会で「遣唐使」が三等賞受賞。40年文展開設にあたり国画玉成会に参加、第1回文展に入選するが、41年岡倉天心と衝突して除名される。以降文展、帝展に出品し受賞を重ねる。大正2年尾竹一門で八華会を結成、“尾竹三兄弟時代”と評される人気を博した。代表作に「茸狩」「おとづれ」「水」「豪華」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾竹竹坡」の解説

尾竹竹坡 おだけ-ちくは

1878-1936 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治11年1月11日生まれ。尾竹越堂の弟,尾竹国観の兄。4歳で笹田雲石に,のち川端玉章,小堀鞆音(ともと)にまなぶ。文展では,明治42年の第3回展で「茸狩」,第4回展で「おとづれ」,第5回展で「水」が受賞。大正8年八火社を創設。昭和11年6月2日死去。59歳。新潟県出身。本名は染吉。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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