デジタル大辞泉
「小堀鞆音」の意味・読み・例文・類語
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こぼり‐ともと【小堀鞆音】
- ( 普通「ともね」と呼ばれる ) 日本画家。旧姓須藤。本名桂三郎。下野国(栃木県)出身。土佐派を学び、川崎千虎に師事。日本美術院の創立に参加し、文展審査員、東京美術学校教授、帝室技芸員、帝国美術院会員となる。有職故実にくわしく、歴史画、人物画を得意とした。代表作に「経正詣竹生島」「武士」。文久四~昭和六年(一八六四‐一九三一)
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小堀 鞆音
コボリ トモト
明治・大正期の日本画家
- 生年
- 文久4年2月19日(1864年)
- 没年
- 昭和6(1931)年10月1日
- 出生地
- 下野国安蘇郡旗川村(栃木県)
- 本名
- 小堀 桂三郎
- 旧姓(旧名)
- 須藤
- 別名
- 別号=弦廼舎
- 経歴
- はじめ父について絵を学び、明治16年小堀家を継ぐ。17年上京して川崎千虎に入門、有職故実と土佐派の大和絵を学ぶ。博物館の摸写関係の仕事に従事し、かたわら雑誌「少国民」などに挿絵を描いた。24年岡倉天心の日本青年絵画協会に参加。29年日本絵画協会に参加、30年同協会第2回絵画協進会に「武士」を出品、銅牌を受ける。同年東京美術学校助教授となるが、翌年美校騒動で辞任、日本美術院創立に参加。35年歴史風俗画会を設立、41年美校教授に復帰。40年文展開設後はしばしば審査員を務めた。大正6年帝室技芸員、8年帝国美術院会員、昭和4年国宝保存会委員。門下に安田靫彦、川崎小虎ら。代表作に「宇治橋合戦」「経政竹生島参籠」「清麿詣宇佐」などがあり、大和絵の手法を現代に生かして歴史画を開拓した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
小堀鞆音
こぼりともと
(1864―1931)
日本画家。下野(しもつけ)国(栃木県)に須藤晏斎(あんさい)の三男として生まれる。本名桂三郎(けいざぶろう)。早くから父や兄に手ほどきを受ける。1884年(明治17)に上京、川崎千虎(ちとら)について歴史画、有職故実(ゆうそくこじつ)を学んだ。91年、日本青年絵画協会の設立に参加。97年には東京美術学校助教授になったが、翌年、いわゆる美術学校騒動が起こり、校長岡倉天心とともに辞職、日本美術院創立に加わった。1907年(明治40)に開設された文展には最初から審査員として出品し、以後官展で活躍した。また08年には東京美術学校の教授に復帰、17年(大正6)帝室技芸員、19年に帝国美術院会員にあげられた。大和絵(やまとえ)の手法を継いで歴史画を得意とし、『宇治橋合戦』『経正詣竹生島(つねまさちくぶじまにもうず)』『武士』などが代表作。門下から安田靫彦(ゆきひこ)、川崎小虎(しょうこ)、尾形月山(げつざん)らが出ている。
[原田 実]
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小堀鞆音【こぼりともと】
日本画家。本名桂三郎。栃木県生れ。川崎千虎に学び,日本美術院の創立に参加し,歴史風俗画会を組織。のち文展開設とともに審査員となり,東京美術学校教授も務めた。有職(ゆうそく)故実に詳しく,大和絵の復興に尽くした。代表作《武者図》《経政詣竹生島図》。
→関連項目安田靫彦
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小堀鞆音
こぼりともと
[生]文久4(1864).2.19. 下野
[没]1931.10.1. 東京
日本画家。旧姓は須藤,本名は桂三郎。「ともね」ともいう。 1884年上京して川崎千虎に師事。有職故実に精通し,やまと絵の正系を踏襲した歴史画,人物画を得意とした。 87年美術工芸品共進会展の『名和長年詣内裏図』をはじめ,『知盛八島之図』『元就詣厳島』『宇治橋合戦』などで次々と受賞し一家をなした。 97年から東京美術学校で教え,また日本美術院会員,文展審査員,国画玉成会評議員,同審査員,帝室技芸員,帝国美術院会員,古社寺保存会委員を歴任し,美術界の元老として活躍。門下生は安田靫彦 (ゆきひこ) ,小山栄達ら。その他の主要作品『武士』 (1897,東京芸術大学) ,『常世』 (97頃,同) 。
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小堀鞆音 こぼり-ともと
1864-1931 明治-昭和時代前期の日本画家。
文久4年2月19日生まれ。川崎千虎(ちとら)にまなび,歴史画を得意とした。明治31年日本美術院の創立に参加。41年東京美術学校(現東京芸大)教授。大正8年帝国美術院会員。門下に安田靫彦(ゆきひこ),川崎小虎(しょうこ)ら。昭和6年10月1日死去。68歳。下野(しもつけ)(栃木県)出身。旧姓は須藤。本名は桂三郎(けいざぶろう)。作品に「宇治橋合戦」「武士」など。
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小堀 鞆音 (こぼり ともと)
生年月日:1864年2月19日
明治時代;大正時代の日本画家
1931年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の小堀鞆音の言及
【復古大和絵派】より
…為恭が平安時代の障子絵を想像復元(大樹寺襖絵)するなど,古典に対する知的興味の先行も指摘できるが,《古今著聞集》などに取材した新しい主題をつくった積極面が評価される。明治期の菊池容斎(ようさい),小堀鞆音(ともと)(1864‐1931),吉川霊華(きつかわれいか)(1875‐1929),松岡映丘(えいきゆう)(1881‐1938)らの歴史画の先駆となった。[やまと絵]【鈴木 広之】。…
【安田靫彦】より
…生来身体が弱く小学校高等科三年で退学。1897年法隆寺壁画の模写や横山大観,下村観山,小堀鞆音(ともね)らの作品に接して感激し,画家になろうと決心した。14歳で大和絵の小堀鞆音(1864‐1931)の門に入る。…
※「小堀鞆音」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」