日本歴史地名大系 「屈戸村」の解説 屈戸村くつとむら 埼玉県:大里郡大里村屈戸村[現在地名]大里村屈戸荒川右岸の沖積扇状地扇端部に位置し、東は津田(つだ)新田村、西は小泉(こいずみ)村、南は通殿(づうどの)川を境に中曾根(なかぞね)村。「風土記稿」によれば、当村は江川下久下(えがわしもくげ)村のうちの荒川左岸沿いにあったが、寛永六年(一六二九)の荒川の瀬替えで右岸へ移り、屈戸下久下村と名付けたという。屈戸とは川の流れの屈曲する所の意と解され、このため水害もはなはだしかったとみられる。中世の崛戸(くつと)郷に比定される。観応二年(一三五一)一一月二〇日の吉良貞家寄進状(相摸文書)によれば、「武蔵国崛戸郷」の地頭職が鎌倉法泉寺に寄進されている。応安四年(一三七一)八月一五日には、崛戸郷内の次郎方半分が鎌倉鶴岡八幡宮に寄進された(「宅間能俊寄進状」鶴岡八幡宮文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by