屋代城跡(読み)やしろじようあと

日本歴史地名大系 「屋代城跡」の解説

屋代城跡
やしろじようあと

更埴市屋代町の東に突き出した一重ひとえ山にあり、一重山城ともいう。城は東信地方と善光寺平ぜんこうじだいらの境する要地にあり、屋代氏居城と伝える。東西二四メートル、南北一〇二メートルあり、南北にはそれぞれ堀切がある(長野県町村誌)

初見は「大塔物語」の応永七年(一四〇〇)九月に「村上満信等屋代城ヲ出テ篠ノ井岡ニ陣ス」とあり、東北信の諸士五〇〇余騎が出陣し守護小笠原氏に反抗した。東北信土豪たちの反守護勢力の根拠地であったものと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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