日本歴史地名大系 「屋代用水」の解説 屋代用水やしろようすい 長野県:埴科郡屋代用水屋代用水の起源については不詳だが、宝永三年(一七〇六)には坂木村刈屋原(かりやはら)地籍(現坂城町刈屋原)の千曲川より分水し、坂木領の上戸倉(かみとぐら)村・下戸倉(しもとぐら)村・福井(ふくい)村・寂蒔(じやくまく)村・鋳物師屋(いもじや)村・桜堂(さくらどう)村・杭瀬下(くいせけ)村の七ヵ村と、松代領徳間(とくま)村・内川(うちかわ)村・千本柳(せんぼんやなぎ)村・向八幡(むかいやわた)村・矢代(やしろ)村・粟佐(あわさ)村・倉科(くらしな)村・雨宮(あめのみや)村・土口(どぐち)村の九ヵ村を灌漑する大用水であった(村山文書)。その後川欠けのため揚水不能に陥り、上戸倉と下戸倉の境である十ヶ淵より取り入れることになった。享保六年(一七二一)再び川欠けで揚水不能となり、下戸倉地内で揚水したいことを松代藩奉行へ訴えた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by