寂蒔村(読み)じやくまくむら

日本歴史地名大系 「寂蒔村」の解説

寂蒔村
じやくまくむら

[現在地名]更埴市寂蒔

東は五里ごりヶ峰と一重ひとえ山山系に限られ、南は下戸倉村、西は鋳物師屋いもじや村、北は打沢うつさわ村・桜堂さくらどう村に接し、北国脇往還に沿う村。

寂蒔の初見は、慶長七年(一六〇二)川中島四郡検地打立之帳に「寂五蒔村 高百七拾九石七斗弐升三合」とある。また慶長一五年九月、海野隠岐守(松平忠輝家臣か)が石川武兵衛に「一、百四拾五石七斗九升九合 ざくまく村」を与えている(諏訪文書)往古船山ふなやま郷に属したと考えられる。天保四年(一八三三)飢饉にあたっては中之条代官所より金一〇両を五ヵ年賦で借り(「御(救)凶民夫食拝備帳」宮坂文書)、天保七年の「大困窮ニ付飢人小前帳書上帳」(寂蒔区有)よれば、飢人家数四一軒、一五三人(男七五人、女七八人)とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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