日本歴史地名大系 「埴科郡」の解説
埴科郡
はにしなぐん
上田市と
「延喜式」に「埴科郡」とあり、「和名抄」では「波爾志奈」と訓じ、坂城・磯部・船山・屋代・大穴・倉科・英多の七郷を載せるが、現在坂城・磯部のほかは更埴市・長野市に属する。埴科郡の範囲は古代では昭和二八年(一九五三)の町村合併前の埴科郡にほぼ比定される。郡名の初見は「万葉集」防人歌で、主帳埴科郡神人部子忍男の歌として
とあり、奈良時代に埴科郡が成立していたことは明確である。
〔原始〕
坂城町の
〔古代〕
貞観年間(八五九―八七七)には「三代実録」によれば信濃国所在とある出速雄神・会津比売神は、それぞれ授位されているが、伝承ではそれを埴科郡の
平安後期に武士が勃興すると、村上氏の活躍が目立つ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報