日本歴史地名大系 「矢代村」の解説 矢代村やしろむら 兵庫県:篠山市旧丹南町地区矢代村[現在地名]篠山市南矢代(みなみやしろ)栗栖野(くりすの)村の西に位置し、武庫(むこ)川に泥(どろ)川(田松川)・真南条(まなんじよう)川が合流する。中世は酒井(さかい)郷のうちであったと推定され、永禄七年(一五六四)一〇月一〇日の栗栖野信政等連署寄進状(高仙寺文書)に矢代松鶴丸がみえる。天正一五年(一五八七)九月の酒井庄内高帳写(酒井義一家文書)に矢代村とあり、高五四八石余。慶長一三年(一六〇八)の多紀郡桑田津之国帳に下郷のうちとしてみえ、高五三〇石余。 矢代村やしろむら 兵庫県:篠山市旧篠山町地区矢代村[現在地名]篠山市矢代大野(おおの)村の北西に位置する。寿永二年(一一八三)一二月二六日の藤原基通家下文(中右記部類巻二〇紙背文書)にみえる「宮田庄笶代村」を当地に比定する説があり、同村の預所職が補任されている。天正七年(一五七九)二月一八日の明智光秀諸役免許状写(久下文書)に「矢代村鍛冶与五郎」とみえ、宮田(みやだ)村鍛冶とともに諸役を免除されている。同一九年「多喜郡宮田・屋代」内の三〇〇石の領知が松野重元(平八)に認められている(四月二七日「豊臣秀吉朱印状写」松野文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by