百科事典マイペディア 「松代藩」の意味・わかりやすい解説
松代藩【まつしろはん】
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江戸時代,信濃国(長野県)埴科郡所在の松代城(海津城,川中島城)を拠点とし川中島4郡内を藩域とした藩。藩主は森長可-(上杉景勝)-田丸直昌-森忠政-松平忠輝-松平忠昌-酒井忠勝と変転したが,1622年(元和8)外様大名真田信之の松代入封によって固定化し,連綿廃藩に及んだ。真田松代藩の初期知行高は13万石,うち3万石は支藩上州沼田領だったが81年(天和1)除封。信州10万石の内高は12万2000石前後,その内訳は藩蔵入地60%対藩士地頭知行所40%,1741年(寛保1)以降は藩の半知政策の恒常化により80%対20%に変移した。家臣団数は2000人前後,藩軍役規定による陪臣団数は約1600人。直臣団2000人の内訳は知行取13%対蔵米取87%。知行取約260人の地方知行高は最高1400石,最低50石,最多階層は100石台である。知行所は分散相給形態で分布しており,その支配機構は藩蔵入地の代官-名主方式に対して地頭-蔵元方式をとっている。藩政の基礎を固めた初代信之時代には遺金27万両をみるほどの財政状態だったが,3代幸道時代にこれを費消,しだいに窮迫化していった。近世後期は藩主7代を数えるが,その間藩政改革として寛保~寛延期(1741-51)の側用人家老原八郎五郎の改革,宝暦期の家老恩田木工(もく)の改革,文政~嘉永期の藩主(1823-52)幸貫(1791-1852,松平定信の次男)の改革が行われ,幸貫の佐久間象山登用,幕政天保改革の老中出仕(1841-44)などもみられた。幸貫の死後は家老恩田・真田両派の派閥抗争が激化し幕末まで尾を引いた。藩政改革では倹約,綱紀粛正,文武奨励をはじめ半知借上制,月割貢納制,産業振興・藩専売制などの実施をみたが財政好転に至らず,藩債は文政~弘化期2万~3万両,嘉永期8万~9万両,万延~慶応期20万~37万両,1869年(明治2)143万両にのぼった。10代藩主幸民は慶応~明治初期に勤王方につき,北越などに転戦したが政局への役割は大でなかった。71年松代県となり,同年末長野県に併合。
執筆者:鈴木 寿
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
信濃(しなの)国埴科(はにしな)郡松代城(海津(かいづ)城、松城(まつしろ)城とも。長野市松代町)を本拠として北信濃を領有した藩。1598年(慶長3)上杉景勝(かげかつ)の会津移封後、豊臣(とよとみ)大名田丸直昌(たまるなおまさ)が4万石で入封したのが最初。1600年(慶長5)徳川家康は森忠政を入れ、北信濃4郡(更級(さらしな)、埴科、高井、水内(みのち))一円13万7500石を与え、上杉、真田(さなだ)氏に備えさせた。関ヶ原の戦い後、森氏は総検地を遂行し石高(こくだか)制を確立した。1603年家康の六男松平忠輝(ただてる)が4郡一円に入封、大久保長安(ながやす)が施政の采配(さいはい)を振るった。忠輝の改易後、1616年(元和2)松平忠昌(越前(えちぜん)家)12万石、18年酒井忠勝10万石を経て、22年真田信之(信幸)(のぶゆき)が上田から移された。真田氏は、上野(こうずけ)国沼田領(群馬県)とあわせて13万5000石。信之は93歳で死没するまでに藩政の基礎固めを果たした。1656年(明暦2)次子信政が松代領、長子信吉の子信利が沼田領を継ぎ、その後沼田領が改易されて松代藩領は4郡10万石、95か村に固定した。信政のあと、幸道(ゆきみち)、信弘、信安、幸弘(ゆきひろ)、幸専(ゆきたか)、幸貫(ゆきつら)、幸教(ゆきのり)、幸民(ゆきもと)と襲封して廃藩に至る。3代幸道は1666年(寛文6)の指出検地など農政を推進し、6代幸弘は恩田木工幸親(おんだもくゆきちか)を起用した藩政改革のほか、俳諧(はいかい)の造詣(ぞうけい)で知られる。8代幸貫は松平定信(さだのぶ)の次子で、文武奨励、殖産興業に努め、海防掛老中に就任、佐久間象山(さくましょうざん)らを育成した。1868年(慶応4)戊辰(ぼしん)戦争では、官軍の信州触頭(ふれがしら)として北越、奥羽を転戦。71年(明治4)廃藩、松代県を経て長野県に統合された。
[古川貞雄]
『『新編物語藩史 第4巻』(1976・新人物往来社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…この功もあり翌年上田城に移り9万5000石を領する。22年(元和8)に松代に移封され,旧領とともに13万5000石を領し,松代藩の基礎を固めた。【笹本 正治】。…
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[土地,貢租]
近世前期,太閤検地の不備もあって,各地各領で先行検地を廃棄して総検地が遂行された。1602年森忠政領,29年(寛永6)小諸藩・徳川忠長領,49年(慶安2)以降松本藩・飯山藩,66年(寛文6)松代藩,寛文・延宝年間(1661‐81)幕府領などがその主要なもので,90年(元禄3)に幕府が松代藩に行わせた高遠藩検地が総検地の最後になった。以後は新田検地中心になる。…
※「松代藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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